オープンでフラットでありたい。

福島の復興と地方創生を実現するために立ち上がったアクセンチュア福島イノベーションセンター長の中村彰二朗氏。東日本大震災から6年、会津での事業開発とそれにまつわるエピソードを聞いた。

2011年3月11日は、日本人なら誰しも記憶に刻まれているだろう。

東日本大震災発生後、その惨状が日を追うごとに報道される中、企業は募金を集めたり、被災地に社員をボランティアとして送り込んだりしていた。

「震災後の4月20日、経産省で審議官をしている友人が、東京の100社くらいを集めて、復興を考える会議を開いたんです。私も呼ばれて行きました。岩手、宮城、福島の代表もお呼びして、彼らのメッセージをちゃんと聞こうということになったのですが、その福島県代表がまた旧友だったのです。東北が一番求めている支援は何か、この旧友が強調したのは、ぜひ東北に事業をやりに来てほしいということでした。司会をしていた経産省の友人が私たちの関係を知っていることもあって、彼のメッセージに対してアンサーはないのかと質問されました。故郷の突然の変わりようを目の当たりした旧友の、言葉の端々からこぼれる故郷を復興させたいという熱い思いに動かされ、思わず「事業を根付かせるための復興拠点の設立を会社に提案する」と、その場で公言したのです」

縁と言おうか、必然と言おうか、運命に導かれるままアクセンチュアの中村彰二朗氏は、会津を視察後、福島イノベーションセンター長として着任することになった。中村氏は会津に対してはどんな印象を持ち、そこで立ち上げる新事業にはどんな感触を得ていたのだろうか。

「会津視察の際、磐越道をクルマで下りて行ったのですが、盆地が目の前に広がったとき、コンパクトシティというイメージがどーん、と入ってきましたね。それとITの単科大学である会津大学も復興に活かせると再認識しました。
ただし、もちろん課題もありました。このままでは消滅地方都市に指定されてしまうという状況の中で、どう再生させるか、そのモデルをつくらなければならない。会津地方は17市町村あって、面積は千葉県とほぼ同じ大きさです。そこに28万人しかいない。会津若松市と隣の喜多方市と、その近隣を合わせると約20万人となるので、残りは小さな自治体ばかりです。人口が点在し、遠隔医療や福祉など、日本の課題が会津にいると手に取るようにわかります。裏を返せば、これは東京よりもITの効果が出るってことですね、これを解決できたら、日本全体の解決モデルにもなるだろう。そして、高齢化問題を抱えている他国にも展開できるのではないかと。会津の人口は約12万3千人、つまり日本の人口の1000分の1。実証事業フィールドとして適した規模なんです」

とは言っても過疎化が進む会津地方。
産業復興と雇用創出の見通しはあったのだろうか。

「東京一極集中モデルをフラットにしたい、という思いが、30代のころからずっと理想・信念としてありました。私は(前出の)経産省の友人とも、この10年ずっと分散配置計画を議論してきました。なぜ、政治も金融も学校も人材もすべてが東京に集中していなければいけないのか。それは、戦後復興するためには集中することが必要だったから。その形が成功モデルになってGDPは世界第2位にまでなった。田中角栄元首相の日本列島改造論では、工場を地方に移すということを政策でやりました。しかし時がたち、それらの工場は国内の地方から、賃金の安い中国やベトナムなどの海外に出ていってしまったわけです。これからは、地方に高付加価値産業を移さないといけません。東京で年収1000万円もらっているサラリーマンはたくさんいると思いますけど、地方にいたっていいじゃないですか。イノベーション事業は会津でやりましょうよ、これからの新産業のうち、東京でやらなくてもいいものは地方で始めましょうよ、ということで、企業の誘致政策を立案し実行してきました。伝統産業を壊したり改革したりすることは考えていません。デジタルによる新産業を生み、伝統産業を補完していくイメージです。今となっては全産業の強力なツールとなったITを横串に刺していくことで、新たな雇用をつくるモデルになります」

中村氏は会津のスマート化をどのように考え、
そこに企業を誘致する戦略としては何があったのか。

「まず、まちづくり全体はアムステルダムのスマートシティを参考にしました。レトロフィット型といって、歴史的建造物は壊せない、道を広げることもできない現状の町をどうスマート化していくかという課題は、アムステルダムと会津で共通していたからです。

産業政策では、デンマークにメディコンバレーという大成功している産業クラスターを参考にしました。データを集めてオープンにして、企業誘致を図るという戦略で、その地域だけでGDPの20パーセントを稼ぎ出しているとも言われています。

会津大学はシリコンバレーを目指してできた大学で、ベンチャーを27社輩出していますが、もうシリコンバレーには追いつかない。政府もビッグデータ戦略と言っているわけだし、これからはデータを集めることによって、企業誘致していこうと考えました。日本一データが集まっている都市は会津若松市だと宣言する。そのためには、市役所が持っているデータをオープンにし、市民が持っているデータも積極的に公開していただく。会津には大量のデータが集まっていて、会津大学ではデータ分析官がこんなに育っていますということを売り文句に誘致を行っています」

企業の誘致が進めば、人材の流出を防ぎ、
人材の新しい育成が可能になるとの見込みがある。

「現状では会津大学の卒業生の8割が東京で就職しています。彼らが就職したい企業が福島にないし会津にもない。だったら我々のような会社が、データ分析という魅力ある仕事を会津につくれば、会津に残って就職するのではないか。データ分析の仕事は給料も高いです。アプリケーションエンジニアからデータ分析官への職種転換も考えられます。今はクラウドが主流になったので、ハードウェアとかネットワークを守る人などはサイバーセキュリティに転換すればいい。そういった職種転換も会津だったら考えられます。今一番IT業界で求められる人材育成モデルは会津にあると思います」

会津をビッグデータの拠点にすることで、企業誘致を図り、雇用を創出する。しかし、市民からのデータを集めるにはプロジェクトへの賛同がなければ……。

「プライバシーを守ることはもちろん前提としてありますが、自治体が持っている多くの地域情報や市民の情報等は、活用することで市民生活に役立てることができる。だから、市民が公共も民間情報も全部一つで見られる『会津若松+(プラス)』というポータルサイトをつくりました。(https://aizuwakamatsu.mylocal.jp/)
たとえば使った電力の情報など、生活に関係あるものがリアルタイムに見られれば、実際に市民が省エネなど行動へ移せますよね。冬の寒さが厳しい会津では、冬季の電気代は二人暮らしでも月4万円に上ることもあります。それがリアルタイムで見える化されると家族で議論が起きるんですね。お父さんが飼っている熱帯魚の水槽が電気を使っているんだとか、娘のドライヤーがとか、省エネの自覚が出てくるわけです。データの見える化は市民に自律を促すことにつながる。だから市民の参加率を上げていきたい」

中村氏がセンター長に就任してから6年が経過した。その間16のプロジェクトを立ち上げ、現在も稼働中だ。が、振り返れば、いろいろな苦労を乗り越えてきた。

「アクセンチュアは初年度に半年かけて復興プロジェクトを3つ起案したんです。でも、役所の部長会で全部否決されました。震災復旧に費やす日々の中、アクセンチュアのスマートシティ関連提案は時期尚早との判断でした。温泉旅館の囲炉裏でメンバーと最後の晩餐会をやりましたね。全部否決されたら帰ろうと。しかし市長と担当部長が2つ復活させてくれました。もし否決されたままだったら、1年目で撤退していたでしょうね。
アクセンチュアでは現状(AsIs)とこうあるべき(ToBe)について議論をよくするのですが、地域は現状のままではダメになってしまうとみんな言うんですよ。ではどうするんだという解がないわけです。我々はスマートシティ計画という解をひとつ示しましたが、IT社会になるってわからないよなという反応でした。観光産業はどうなるんだとか、伝統が台無しになるとか、口を衝いて出てくるのは改革に対する不安ばかりでしたね」

新たなモデルに対する不安。語られない希望。
わかってもらうには粘り強く説得するしかなかった、という。

「反対だと言う人と、夜飲みながら話をしました。昼間やると喧嘩になりますから(笑)。お互い認識の違いをわかっておくのは大切です。そのために会って話して、会って話しての繰り返しですね。会津の人たちの悩みを聞いてあげても、そこで議論を終わらせるのなら、私はセンター長を交代したほうがいい。
私はパートナー企業に必ず言うんですね、日帰りはやめなさいと。地元を知らなければ地域に提案なんかできないですから。住まないとわからないです。住まないとキーマンと信頼関係を構築できませんから。市長はキーマンの一人ですが、地元を動かしている人は他にもいるわけです。彼らが最初からアクセンチュアを理解しているわけではないので、彼らから個人的な信頼を得られないと本質的な会話はできない。商工会議所の会頭にだって言うべきことは言える関係にならないと。気を遣っているようならただの営業行為ですから」

新規事業にはさまざまな壁が立ちはだかる。
それでも前進するには壁を打ち破らなければならない。

「国は成長戦略でビッグデータと言っておきながら、個人情報保護法ではデータを出してはダメだと言っている。データはあっても使えない。そんな事業の進行を妨げるものが法律や規制だとしたら、規制緩和や議員立法で解決すればいいじゃないかという考え方です。だから関連議員への政策提言活動を続けています。情報は使って初めて価値が生まれます。また市民への見える化で自助の精神が芽生えます。自治体や国に頼る公助の姿勢では生き残れなくなる。2016年12月には、我々も提言した、官民データ活用推進基本法が施行されました。これで会津若松市は、いち早くデータ活用の町になれるのです」

法律という最大の壁を前にしては諦めてしまいたくなるのが普通だろう。中村氏の問題意識と思考法から学ぶべきことは多い。

最後にメッセージをもらった。

「自分が描く理想社会のビジョンを持っていれば、足りていないところが見えますよね。それが新規事業の機会になると思います。その時、一業界や一クライアントなどあまり狭い社会を見ないことです。日本とか地域とか、大きなスケールで物事を捉えたほうがいいでしょう。
事業を起こすのであれば、自分が要求しているけれど、社会でできていないことをやればいいと思います。たとえば、会津大学にクラウドセンターをつくった際に、私がプロジェクトメンバーに言ったのは、会津大学が手放したいと言った時に、アクセンチュアが買収したいと思うものをつくりなさいと。社会を観察して、自分が欲しいものを徹底的に考える。世の中どこか窮屈だと考えているところにイノベーションのネタがあるはずです。これが新規事業だと思います」

中村 彰二朗(Shojirou Nakamura)
アクセンチュア 福島イノベーションセンター長
1963年生まれ、1986年よりUNIX上でのアプリケーション開発に従事し、国産ERPパッケージベンダー、EC業務パッケージベンダーの経営に関わる。2002年6月、サン・マイクロシステムズ入社。e-Japanプロジェクトを担当、政府自治体システムのオープン化と、地方ITベンダーの高度人材育成や地方自治体アプリケーションシェアモデルを提唱し全国へ啓発。2011年1月、アクセンチュアに入社。3.11以降、福島県復興、産業振興に向けて設立した福島イノベーションセンターのセンター長に就任、東日本の復興および地方創生を実現するため、首都圏一極集中のデザインから分散配置論を展開し、社会インフラのグリッド化、グローバルネットワークとデータセンターの分散配置の推進、再生可能エネルギーへのシフト、地域主導型スマートシティ事業開発等、地方創生プロジェクトに取り組んでいる。
公式サイト:https://www.accenture.com/
TEXT BY 和田知巳
PHOTOGRAPHY BY 佐藤登志雄