味の素が、パソコンの “未来の素” をつくる。

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日本屈指の食品メーカー、味の素株式会社。社名でもある代表商品『味の素®』をはじめ、食品分野においてさまざまなヒット商品を世に送り出している。そんな味の素社だが、食品以外の分野で世界トップシェアを誇る商品がある。それはなんと、 “電子材料” 。パソコンの心臓部である高性能半導体(CPU)の絶縁材として、『味の素ビルドアップフィルム®』という製品が、世界中で使用されているのだ。なぜ食品メーカーである味の素社が、世界中で使われる絶縁材をつくりだすことができたのか。今回は、その開発責任者中村茂雄氏にお話を伺った。

食品のノウハウを、
あらゆる分野に。

「味の素社が電子材料をつくっている」こう言われてピンとくる人は、多くはないだろう。日本を代表する食品メーカーである味の素社が、なぜ異業種の業界に参入できているのだろうか。

アミノ酸を中心とした食品原料をつくる際にでる多様な副産物に、そのヒントがあった。実際に味の素社には、食品を開発する過程で長年培ってきた、バイオや化学のノウハウを活用して、様々な製品開発を行なってきた歴史がある。

例えば、石鹸などに使われる『アミソフト®』というアミノ酸系界面活性剤をつくったのは、40年も前のこと。それ以降も、医薬品や化粧品など、幅広い分野で数多くの製品を生産しつづけている。

その中で、今回焦点をあてるのは、『味の素ビルドアップフィルム®』という電子材料。パソコンの頭脳ともいわれる高性能半導体(CPU)の絶縁材料として、なんと世界的にトップシェアを誇る商品だ。

開発スタートは、20年前に遡る。1980年後半、味の素社もバブルの好景気の波に乗り、事業領域の多角化を図るべく、新たな事業への投資を進めていた。その時に目をつけたのが、当時市場の拡大が見込まれていたパソコン関連の事業だった。

新参者には、
高すぎる壁。

「いやぁ、最初は失敗ばかりでした」

『味の素ビルドアップフィルム®』の生みの親である中村は、こんな一言から話をはじめた。彼が味の素社に入社したのは1992年。まさに、同社がパソコン関連の製品に参入した時期だった。

「当時の上司が、ソルダーレジストというものに着目していました」ソルダーレジストは、パソコンの中に入っているプリント配線板を覆う緑色のインク上の絶縁材。

アミノ酸合成技術をベースにした熱硬化性樹脂組成物が製造に使える上に、パソコンの市場は拡大を続けている。中村の上司は、ソルダーレジストの需要は必ず伸びると踏んでいた。

当時のソルダーレジストの最大手は、太陽インキ製造という会社。そこは、もともと印刷用インクの企業だったが、インク製造の技術を電子材料に応用し、シェアを拡大していた。「最初は、異業種の会社ができるなら俺達にもできるだろう、くらいの気持ちでスタートしました」

しかし、それが大きな間違いだった。ソルダーレジストは、メーカーがつくる製品の特性に合わせて、塗工・乾燥・現像といったプロセスを一から構築する必要がある。条件管理の厳しい複数の工程を経ている分、既存企業とユーザーの信頼関係も厚く、味の素社の入る余地はなかった。

「なぜ我々がわざわざそんな材料を評価しなきゃいけないんですか? 」試作品を持っていくと、相手からそう言われることもあった。「先行企業が苦労してつくった関係性。ちょっと性能が良いくらいでは、まったく相手にされませんでした」

結局、ソルダーレジストの開発は頓挫。その後も、ソルダーレジストを現像する際の現像液をアルカリ水溶液から真水にするなど、派生製品の可能性を探ったが、どれもうまくはいかなかない。先が見えない日々が続いていた。

メンバーの送別会で、
上司が泣き出した。

世の中に既にあるものを改良したところで、異業種である味の素社の電子材料は相手にされない。「だからこそ、どこの企業もやっていない、新しいものをつくらないといけませんでした」

その中で、中村が取り組んだのは、当時注目されていた微細配線技術、ビルドアップ工法のプリント配線板用の絶縁材だ。さらに、ただつくるだけではなく、インク状でも性能達成が困難だと言われていたこの絶縁材を、フィルム状にするという難易度の高いテーマだった。

インクは乾燥や現像の手間が大きい。それをもしフィルム状にできれば、ニーズがあるのではないか。以前から、そんな話が技術者の中で話題になっていた。しかし、なかなか技術が追いついていないのが現実だった。

「実現できれば、絶対に便利なはず。でも、誰も開発に成功していない。だからこそ、やる意味があると思いました」中村は、開発に着手した。

当時の研究場所は、小さなプレハブ小屋。そこで中村は気が遠くなるような回数の配合を繰り返した。毎日10〜20種の試作品をつくり、実験の回数は数千回にものぼった。

それまで、誰も成功していない研究内容。もちろんすぐに結果がでるものではなかった。しかし、会社としても結果のでない事業に投資し続けることはできない。少しずつ、部署の人員も減らされていった。

部署に漂いはじめる、陰鬱とした諦めムード。陰で “あの部署は沈没船だ” と、揶揄する社員もいたという。しかし、ある時一つの転機が訪れた。それは、また一人、人事異動で社員がいなくなる送別会での出来事だった。

「上司が、急に号泣しはじめたんです」その上司は、誰よりも成功を信じて開発の指揮をとってきた人物。それまで口には出さなかったが、社内からの強いプレッシャーと、食品メーカーである味の素社に入社してきた研究員の希望する研究内容とのズレに責任を強く感じていたのだ。

「みんな、申し訳ない。もう守りきれないかもしれない」そんなことを言いながら、送別会の終盤に人目もはばからず涙を流した。

「本当に、世話になってきた上司でした。だから、これ以上恥をかかせてはいけない。そう感じました」その瞬間に、中村をはじめ、残されたメンバーの心に火が着いた。

「その上司が帰った後に、メンバーでカラオケに行きました。そこで全員で肩を組んで歌った “WAになっておどろう” は、今でも忘れられません。」

絶縁フィルムの営業で、
“食堂” に案内される。

「絶対になんとかしてやろう」送別会での出来事を機に、諦めかけていた雰囲気は消え、研究は大きく加速した。

膨大な実験を繰り返すうちに、それぞれのメンバーは樹脂やインクなどの分野のプロに成長していた。中村を中心に、各自の専門性を活かして研究を続け、ついには半導体用基板に使用できるレベルの高性能・高信頼性でフィルム状の絶縁材『味の素ビルドアップフィルム®』が完成した。

「無事、形になって、ほっとしました。しかし、実際に製品として世に出すには、もう一つ大きな壁がありました」

ユーザーからしてみると、所詮、食品メーカーがつくった絶縁材。営業に行っても、まったく取り合ってもらえなかった。商談に行っても、味の素社という社名を聞いただけで食堂に案内されるような始末だった。

「当時、味の素社がCMで起用している女優のカレンダーを持ってきたら話を聞いてやるよ、と言われたこともありました」

何度も歯を食いしばるような悔しい思いをしたが、性能は本物だった。一回でもきちんと話を聞いてもらえれば、既存の製品よりもメリットが大きいことは目にみえていた。

「開発当初に製品を評価してくださった担当者が、社内で報告したら上司に言われたらしいです。『味の素社の製品がいいわけないだろう。もう一回検証しろ! 』と(笑)」しかし、何回検証しても結果は同じ。性能の高さが認められ、徐々に導入企業が増えていった。

その後、大手半導体メーカーが『味の素ビルドアップフィルム®』を使用した基板を採用したことをきっかけに、販売件数は爆発的に広がることとなる。いまや、世界中のほとんどのパソコンに、味の素社の絶縁フィルムが導入されている。

頭でっかちに、
イノベーションは起こせない。

中村は開発が成功した一番のポイントをこう語る。「僕らは、電子材料に関しては素人。逆に、それがよかったんだと思います」

開発の裏側には、業界の知識が無いからこそ生まれた発想があった。例えば、それまでの絶縁材は、冷暗所保管が通常とされていたが、味の素社の絶縁フィルムは0℃以下での保管が必要だった。

「最初、お客さんに冷凍保管ですって言ったら驚いていました(笑)。でも、管理コストよりもメリットのほうが大きいはず。絶対にいけると思いました」

結果、多くの企業が『味の素ビルドアップフィルム®』導入のために、冷蔵・冷凍保管環境を準備するまでになった。「逆に知識があったら、ここまでの性能の製品は生まれなかったと思います」

新しいものを生み出す時には、常識外れな発想が必要だと、中村は語る。「最近の人は、脳ばかり肥えているような気がするんです」しかし、なにかをつくりだすときには、頭で考える以上に、直接触れたり、話したり、会うことが欠かせない。

「『味の素ビルドアップフィルム®』の開発も同じです。絶対できないと言われていても、考える前にとりあえずやってみる。駄目やったら、その時考えればいいじゃないですか」

「あとは、手を動かしながらも常に頭は動かすこと。ニュートンが落ちたリンゴを見て、重力をひらめくことができたのも、偶然ではなくずっと考え続けていたからといいますからね」実際、中村は寝る時も常に枕元にアイデアを書き留めるノートを置いているという。

「いつ、なにを思いつくかわからないからね。若い人も、それくらいの気持ちで仕事をしてほしいなって思います。本気なら、きっと楽しいはずですから。まぁ、このご時世に根性論を言ったら、怒られるかもしれませんけど(笑)」

中村 茂雄(Shigeo Nakamura)
味の素株式会社 バイオ・ファイン研究所
素材・用途開発研究所 素材開発研究室
素材開発研究室長
1967年生まれ。
1992年3月東京工業大学 化学環境工学専攻 修士課程修了後、味の素株式会社に入社。研究所に所属し、電子材料の開発に従事。1997年『味の素ビルドアップフィルム®』を開発。2004年UCSB(University of California Santa Barbara)に2年間の研究留学。復職後も次世代『味の素ビルドアップフィルム®』の開発に従事。2016年より現職。
公式サイト:https://www.ajinomoto.com/jp/rd/global_network/biofine/
TEXT BY 新谷建人(株式会社パラドックス)
PHOTOGRAPHY BY 今井裕治