それをやろうとしている人は、 自分以外にどれくらいいるか?

自分にとって圧倒的に不利な条件下で競争しなければならないとき。自分より能力の高い人たちと競わなければならないとき。それでも成果を挙げなければならないならば、どうしたらよいのか。「そういう状況でこそ、『明らかにユニークであること』を目指すべきです」と語るのは、現在アンダーソン・毛利・友常法律事務所で弁護士をしている中町昭人氏。1990年代後半から2000年代後半にかけてのアメリカ・シリコンバレーの勃興期に、現地で根を下ろして日米のスタートアップ企業の支援のために精力的に活動していた数少ない日本人弁護士のひとりである。ユニークであれ、という彼の哲学が、どのように国際弁護士としての活躍に寄与したのか。中町の考える、「明らかなユニークさ」とは。

ユニークでなければ
存在する意味がない。

シリコンバレーで中町が働き始めるよりも3年前。彼はニューヨークのロースクール(法科大学院)へ通っていた。日本で大学在学中に司法試験へ合格し、司法研修所卒業後に東京の法律事務所を経てアメリカへ。1年間のロースクールと2年間の現地のローファーム(大規模な法律事務所)での研修を終えたら、経験豊富なアメリカ人弁護士と何とか対等に交渉ができるような弁護士になれるのではないか、とひそかに期待していた。

「アメリカで暮らすのが、小学生のころからの夢だったんです。当時大好きだった『アメリカ横断ウルトラクイズ』から受けた印象もかなり強かったかもしれません(笑)。アメリカは日本のような年功序列とか社会として硬直的なところが少ない、もっと柔軟で自由な風土の国だというイメージが強くて、憧れていました。しかし、選んだ仕事が弁護士だったのが問題でした。弁護士は、帰国子女でもない日本人がアメリカでやろうとする仕事としては「最悪」なもののひとつだろうと思います。理由は、言葉そのものが唯一の商売道具であること、そして説得力のあるネゴシエーション(交渉)を行うには、言葉を自在に操れることに加えて、膨大な量の「背景的知識」(バックグラウンド・インフォメーション)が欠かせないということです。この背景的知識には、法律だけでなく、その国の歴史・文化・風俗に関する情報や、ビジネスの業界における慣習や常識など、あらゆるものが含まれます。28歳で初めて念願のアメリカに飛び込んでみたものの、本当の意味で国際的に活躍できる人材を目指すうえで自分に欠けているもののあまりの大きさを知り、途方に暮れることもしばしばでした。それでも、『英語がもっと聴けるようになりたい、話せるようになりたい』の一心で朝から晩まで頑張っていたら、いつの間にか半年くらいで夢も英語で見るようにはなっていました(笑)」

誰もやろうとしていないことにチャレンジする。
自分もまた、シリコンバレーの起業家のひとりだった。

とはいえ、アメリカに渡って2年ほど経ったころには、「3年間の留学を終えて日本に戻ったら、経験豊富な外国人弁護士と対等に交渉のできる弁護士になる」という当初の目的の達成が、残されたあと1年では到底不可能だということに中町は気づき始めていた。もともと掲げたハードルが高すぎたと言えばそれまでだが、当時の「客員弁護士」といういわば短期のゲストのポジションで得られるプロフェッショナルとしての経験は、正規のロングタームのポジションで勤務しているアメリカ人の若手弁護士が得られる経験と比べて、その質・量・密度において明らかに劣っていたことも事実だった。そこで、当初の目的の達成は諦めて日本に戻るのか、それとも日本の法律事務所を辞めてアメリカに残ってあくまで当初の目的の達成を目指すのか。彼は選択を迫られていた。

「諦めて日本に戻っても、活躍はできたはずです。でも、その活躍はあくまで日本国内の枠において。世界の土俵で見れば、どれだけの価値があることなのだろうかと、疑問でした。アメリカに留学している他の日本人弁護士と同じように帰国するのでは、結局のところ自分は「one of them」になってしまい、「only one」的なユニークな価値を持つ存在にはなれないと感じました。一方で、そのころはちょうど2000年直前。シリコンバレーで最初のインターネット・バブルが大発生してアントレプレナーシップ(起業家精神)が溢れかえっている一方で、太平洋の反対側の日本ではバブル経済崩壊により証券会社や大手銀行の破綻が始まり、経済は底なしに悪くなっていくかのようで、先の見えない閉塞感で社会が窒息してしまいそうな雰囲気でした。どうして太平洋の東と西でこんなにも状況や環境が違わなくてはいけないのか?日本がもっとオープンで変化に柔軟で、イノベーションが生まれやすい社会になるためには、どうすればよいのか?そういった状況の中で、今自分は何をすべきなのか?そういったことについて、半年ほどかけて、考え続けました」

悩み続ける中で、中町が考えたことのひとつが、日本が国際競争力を取り戻し、経済状況を回復させていくためのキーは、シリコンバレーにあるだろうということだった。

「日本企業の力が衰退した原因のひとつに、変化と競争の激しい世界経済とは真逆の、変化への対応の遅い大企業中心の文化がありました。ならば、質の高いイノベーションとベンチャー企業を絶え間なく生み出しつづけるシリコンバレーから、日本が学べることが山ほどあるに違いないと考えたんです。

日本の技術や人材がシリコンバレーのオープンな競争環境で鍛えられ大きく育ち、その一部が日本に戻るという、技術と人材の循環をつくれないかと考え始めました。それを実現するためには、どんなことが必要か。そのときに思いついたのが、日本とアメリカ双方の法律を熟知した弁護士も、そのような循環をつくるための必要不可欠な要素のひとつに違いないということです。シリコンバレーでは、ベンチャー企業を立ち上げる初期の段階から、弁護士が極めて重要な役割を果たします。しかし、日本の弁護士がシリコンバレーのローファームで長期間勤務した例はまだないと聞いていました。それならば、自分が最初にトライしてみるのはどうだろう、と。当時それをやろうとしているのが、きっと自分だけに違いないという確信もありました。成功できるかどうかは分からないけれど、自分がアメリカに残り、新たなことにチャレンジする理由としては十分でしたし、上手くいけば日本を変えていくことにも貢献できるはずだ、と心を決めたのです」

シリコンバレーの複数のローファームにレジュメを送ってインタビューを受けたところ、中町はシリコンバレーで最大かつ最も著名なローファームで、もはや短期のゲストとしての「客員弁護士」ではない、アメリカ人と同じロングタームのポジションの仕事を得ることができた。ここで働き、シリコンバレーにやってくる日本のベンチャー企業のサポートをすることこそが、アメリカに渡って以来「自分にしか生み出せないユニークな価値は何か?」と問いつづけた結果として得た、ひとつの結論だった。「他人のやっていないユニークなことに挑戦しよう」とした彼自身も、シリコンバレーでは一種の起業家のような存在としてチャレンジを始めたのだった。

ビジネスを発展させる「個人のリーダーシップ」とは
自分にしかできない能力を発揮すること。

スタートアップ時に必要となる会社設立、資金調達(ベンチャー・ファイナンス)、従業員の雇用、ストックオプションの発行などの一連の法的な手続、知的財産に関する交渉戦略の立案や契約書の作成、M&AやIPOなどのエクジット・ストラテジーに関する助言などのシリコンバレー・ロイヤーとしての仕事に加えて、ときには現地日本人間のコミュニティーをつくることにも尽力した。ただ法律に関する知識があるだけでは、シリコンバレーでの弁護士は務まらない。その経験は、「法律×ビジネス」の観点で仕事をするというスキルをもたらしてくれた。

「司法の専門家だというだけなら、アメリカでも日本でもいくらでも他にいるし、私じゃなくてもいい。でも私がシリコンバレーで得たものは、ビジネスと司法の間に立つ、という経験でした。ルールとしての法律を守るだけじゃなく、ビジネスを発展させていけるように法律を活かしていくような考え方。他の弁護士がしていない経験をしたからこそ、他の弁護士とは違う仕事をできるようになったと感じています」

現在は、シリコンバレーでの経験を活かして日本で主に弁護士として働いているが、やはり日本でも、単なる法律の専門家をしているわけではない。日本企業の社外役員を担ったり、理系の学生に対してイノベーション教育を行う大学院で特命教授として教壇に立ったり。今後は世界市場を狙えると強く信じる某ベンチャー企業の社内により深く入り込んで集中的に支援していくことも計画している。「他の人がやっていないユニークなことを」と望んできたからこそ、一般的な弁護士としての枠に留まらず、ビジネスパーソンとしてよりしなやかに、中町個人として、中町にしかできない仕事ができているのだ。

「いま、日本のビジネスシーンで求められるのは一人ひとりの個人レベルのリーダーシップだと思います。それは、個人が自分のハートの一番深い部分に問いかけて、今自分が本当に何をやりたいのかを常に問いかけ続けることです。アメリカに残るかどうかの判断を迫られたとき、私が相談した人の全員が帰国を勧めました。あのとき、自分の考えで判断せずに帰国していたら、今のような未来はなかったし、自分らしい人生を生きているという実感もずっと薄かっただろうと思います。そして、たとえ最初の取り組みは小さいことでも、自分なりのユニークさを追求し続けることで、いつか自分にしかない価値を発揮するための道が開けるのだということも経験しました。2005年にスティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式で有名な講演をした際の最後の締めの言葉である「Stay hungry, stay foolish.」は今でも私の座右の銘ですが、それも正に同じことを言っているのだと理解しています。私は今年(2018年)50歳になりますが、これからもまだまだ、自分の可能性を探っていきたいと考えていますし、その先にさらに新たな『ユニークさ』も見つかっていくはずだと期待しています」

中町 昭人(Akihito Nakamachi)
京都大学法学部卒業、在学中に司法試験合格。1993年に弁護士登録後、森綜合法律事務所に入所し、1996年、同事務所在籍中に米国留学。New York University School of Lawにおいて法学修士を取得後、サンフランシスコ、ワシントンDC、シカゴ、シリコンバレー、ロサンゼルスにて現地のトップクラスのローファームに勤務し、パートナーに就任。2009年夏に13年振りに日本に帰国し、アンダーソン・毛利・友常 法律事務所にパートナーとして入所。
公式サイト:https://www.amt-law.com/
TEXT BY 山縣杏
PHOTOGRAPHY BY 佐藤登志雄