未来を解析してきた男。

ITの発展により、あらゆる”ものづくり”は、設計・企画段階から、事前に様々なシミュレーションが行われている。その際に欠かせないのが、CAE(=computer aided engineering)や、CAD(=computer aided design)と呼ばれる、構造解析・設計ソフトの存在だ。日本の製造業がこれまで発展してきた歴史の裏側には、これらの技術を広めた一人の男の存在があった。今回は、CAEやCADを日本に広めた立役者、電通国際情報サービスCTO(当時)笠健児氏にお話を伺った。

ワンクリックで、
3,000,000円が飛んでいく。

世界初のスーパーコンピューターは、アメリカ人のセイモア・クレイが1964年に開発した『CDC6600』だと言われている。それ以降、コンピューターの演算速度は飛躍的に上がり、様々な分野でこれまではできなかったような研究や解析が可能になりはじめていた。

しかし、当時スーパーコンピューターを手に入れるためには、億単位の資金が必要とされていた。「今の若い人は、タイムシェアリングなんて言葉知らないでしょう」笠氏は、当時を振り返ってこう語る。

その頃は、まだスーパーコンピューターの台数も少なく、世界でも限られた企業しか使用できないのが現実だった。「そこで生まれたのが、タイムシェアリングという考え方。電話線でひとつのコンピューターを複数の人に繋ぎ、使用時間に応じて課金するというものでした」

タイムシェアリングの登場により、スーパーコンピューターを持っていない企業や人でも、従量制で使用が可能になった。笠氏が所属していた情報サービスも、米国のGeneral Electric(=GE)のタイムシェアリングサービス『MarkIII』を日本国内で提供するため、GEと電通の合弁会社として設立された企業だ。

しかし、まだ課題も多かった。「データプロセシングのような通常の演算処理なら、タイムシェアリングでもよかったのです」だが、建築や製造業で求められるような構造解析を行うCAE(=Computer Aided Engineering)などのソフトを使用するためには、より高度なCPUが必要だった。

「CAEを使うと処理に時間もかかるため、たった一回の演算をするために3,000,000円もかかっていました。一度エンターキーを押して、もし少しでも入力データが間違っていたらその金額が一瞬でパー。当時の解析担当者は、毎回顔をひきつらせながら操作を行なっていましたね(笑)」

笠氏は、そのままでは駄目だと感じていた。「そんな非効率な状態で構造解析をしていては、日本の産業は発展しない。どこかでビジネスモデルを変える必要があると思っていたのです」

当時の状況を打破するために、笠氏は、それまでのようなシェアリングではなく、定額を払えば何回でも解析が行える“ライセンス契約”をユーザーと結ぶことができないかと考えていた。

売上5パーセントの事業に、
投資する金はない。

「ライセンス制を提案したところ、特にGEから来た役員からは猛反対を受けました」笠氏が関わっていた、構造解析の分野は当時の会社全体の売上比5パーセント程度の規模しかなかったのだ。

ライセンス制を導入すると、販売時には収益が上がるが、もし売れない時期があれば売上はゼロ。それに、どのユーザーのどのコンピューターに、どういう形でどのソフトのライセンスをしているかを管理するオーバーヘッドがタイムシェアリングサービスの管理に加えて必要になる。会社としては、それまで通りタイムシェアリングを継続する方が楽で安全だったのだ。

「それでも、今後必ず必要になると感じていました。コンピューターの利用が発展するにつれて、よりCPUを食うようになる。一方で、市場が大きくなるにつれてコンピューターの価格は下がってくるはず。その流れに乗るためには、ライセンスビジネスへの移行は必須だと感じていました」

そこから、国内の親会社である電通はもちろん、あらゆる関係者のところに行き、ライセンス化の必要性を説くと同時に、海外の優秀なソフトウェアメーカーとサブライセンス権の交渉に奔走した。笠氏が、そこまでライセンス制による構造解析ソフトの普及にこだわる理由は、学生時代の経験にあった。

「私は、学生時代を海外で過ごしていました」近頃は、海外で”Made in Japan”といえば、高品質と捉えられることが多い。「しかし、当時の海外では、”Made in Japan” =安物・壊れやすい、というイメージだったんです。一人の日本人として、それがどうしようもなく悔しかった」

だからこそ、日本の製造業に関わる企業が、低コストで構造解析を駆使できるようになれば必ず産業全体の底上げになるはずだと信じていた。「もちろん、それだけではありません。仮に価格が下がっても、ユーザーが増えれば自然と売上に繋がるはず。だからこそ、事業としてもライセンス化をやるべきだと確信していました」

最後の最後には、
運がついてくる。

笠氏の想いと、時代の先を読む力が徐々に周囲を動かしはじめた。「社長をはじめ、主だった役員達は少しずつ私の考えを理解してくれるようになりました。しかし、親会社の電通としては必要性は理解するものの、できればもう一方の株主、GEの賛同を得ることが望ましいと考えていました」

もともとGEのMarkIIIを提供する目的で設立された合弁会社だったのでGEの賛同が得られるのがベストなのは間違いない。しかし日本がライセンス販売を進めれば、GEのMarkIIIの売上はその分必ず落ちてしまう。仮に電通が認めたとしても、GEが首を縦に振る可能性はほとんど無い。

「そこの壁は、すごく高かった。私のような、日本の一担当者が声を上げたとしても、そう簡単に動かせるような問題ではありませんでした」

ライセンス化を目指しはじめてから、すでに約3年の時が経っていた。笠氏の脳裡に、円満な実施に対する”諦め”の二文字がよぎりかけたその時だった。GEに思いもよらぬ動きがあった。新社長が就任し、”Factory of the future”という言葉を掲げて、関連工場のオートメーション化を押し進めはじめたのだ。しかも、そのソリューションを外販して行くことになり、CAEソフトウェアのライセンスビジネスがその一つになったのだ。

「GEには、多数の関係会社や工場が存在します。それぞれが、低コストで構造解析ソフトを使用することができれば、彼らが目指すオートメーション化に近づくと考えました」

そのような大きな流れに乗りながら、笠氏はCAEの提唱者などとも交渉を重ね、様々な関係者に働きかけ続けた。最終的には、3年越しの想いが通じ、ついに大元であるGEが、ライセンスビジネスの導入に動きはじめた。

「最後は、時の運というのでしょうか。ひとつの想いを持ちながら、ずっと続けていると、最後には必ず運が味方する。本当に面白いなと思います」

構造解析の常識は、
2次元から3次元へ。

笠氏の奔走もあり、ライセンスビジネスへの転換が実現されることになった。その後も山あり谷ありが続いたが、ユーザー数は飛躍的に増加。やがて電通国際情報サービスの売上の半分近くを占めるような事業に成長し、あらゆる企業が様々な解析が行えるようになったのだ。

ITの発展により、それまでの二次元図面のデータを元にした解析だけでなく、3次元CAD(=computer-aided design)の普及に伴い直接3次元データを取り込んだ構造解析も普及し飛躍的な効率化が進んだ。「ライセンス化によって、企業が自由に解析を行えるようになったことで、設計段階でいろいろな検討ができるようになりました」

実際に、笠氏は世界初のポータブル音楽プレイヤーや、新幹線の構造解析にも関わっていたという。「図面だけ渡されて、内容は極秘だったので、当時は何の解析をしているかは全く知りませんでした(笑)。でも、後から振り返ると、日本の産業が変わり始めていた瞬間だったのかと思います」

さらに、当時の日本産業の変化を笠氏はこう語る。「1980年代後半に、アメリカで日本製品を否定する、“ジャパンバッシング”というものが始まりました」日本の製品の品質向上を危惧したアメリカが、ネガティブキャンペーンをはじめたのだ。

「実は、バッシングされるのが少し嬉しかったんです。だって、それまでのような低品質のイメージのままだったら、そもそもバッシングなんてされませんから」

現在は、CAEやCADを駆使した構造解析やデザインは当たり前となっている。しかし、その裏側には笠氏のような想いをもったビジネスパーソンの熱意があったのだ。

最後に、笠氏に新たな事業に取り組む上で、大切にしていることを聞いた。

「欠かせないのは、”七転び八起き”の精神だと思います。いまの日本は、一度の失敗も認めない空気がある。でも、実際はそんなことありません。今は転職も自由な時代です。もし失敗しても、フィールドを変えて、立ち上がり続ける。それが何かを成し遂げるためには必要だと思います」

また、笠氏はこうも続ける。

「あとは、必ず自分なりの”大義”みたいなものを持つこと。一時的な快楽ではなくて、長く社会に益になるような事を軸として持っておく。そういう人の周りには、自ずと仲間も集まってくると思います」

笠 健児(Kenji Ryu)
株式会社電通国際情報サービス
エグゼクティブ・アドバイザー

1949年生まれ。米国メリーランド大学、航空宇宙学科卒。1975年電通入社。1976年電通国際情報サービス設立と同時に出向。主に構造解析ソフトの技術サポートを中心に企画推進。1982年CAEのライセンスビジネス開始と同時にCAE推進課長。1988年CAE技術部長。1990年CAE/CAD/CAM事業部長を経て1994年取締役事業部長。1998年常務取締役。財務・広報部門統括、事業統括部門などを歴任。2008年−2012年CTO。2012年よりエグゼクティブ・アドバイザーに着任し、現在に至る。
公式サイト:https://www.isid.co.jp/
TEXT BY 新谷建人(株式会社パラドックス)
PHOTOGRAPHY BY 今井裕治