史上最速のバイクの開発を支えた、最速の数値解析。

川崎重工のモーターサイクル&エンジンカンパニー、ガスタービン・機械カンパニー、航空宇宙カンパニー、そして川崎重工グループ全体を横断する技術開発本部が総力をあげて開発した「究極のロードスポーツ」それがスーパーチャージャーを搭載し、かつてないスピードを実現した『Ninja H2』と、サーキットマシン『Ninja H2R』だ。地上速度最速、350km/hを優に超えるモンスターマシンの開発の裏側には、“最速”の数値解析を可能にした男がいた。

ありえないスペックの
かつてないバイクをつくろう。

カワサキがつくるバイクには、ある共通点がある。語ってくれたのが本稿の主人公、川崎重工株式会社、モーターサイクル&エンジンカンパニー技術本部の森川学氏だ。

「国内バイクメーカーの中でも、カワサキはおそらく一番尖っている(笑)。カワサキのバイクは趣味性の強い製品です。生活必需品ではありません。通勤やチョイ乗りも可能ではありますが、、週末どこかに遠出する方が相応しいバイクですね」

開発の原点にあるのは、Fun to rideという考え方だ。Funの要素の一つである、強烈な加速感を追求するために、『Ninja H2』『Ninja H2R』の開発はスタートした。「誰も体感したことのない加速力」を実現するために、カワサキが総力を挙げて取り組んだのは、300馬力を超えるエンジンスペックのバイクの開発だった。

「300馬力を超えるとたとえサーキットでも全開走行することさえできなくなる。通常の高出力なバイクは200馬力程度ですから。300馬力は、普通に考えたら、まずあり得ないスペックです。すべての制約を取り払い、楽しめるものをつくろうという挑戦でした」

どの程度エンジンを冷却する必要があるのか。急速な加速でもフロントがリフトしないように制御するにはどうするか。すべてが未知数だったと、森川は振り返る。ありとあらゆるリスクを検証するには、入念なテストが欠かせない。だが、実機によるテストのみで、すべてを解決することは、開発日程や工数の面からも不可能だ。そこで重要になったのが、森川の担当分野、CFD(数値流体力学)を用いたシミュレーション技術だった。シミュレーションを、いかに短期間で行うか。それが、『Ninja H2』『Ninja H2R』の開発成功には必要不可欠となっていた。

1ヶ月半かかっていた解析が、
たった3日に大幅短縮。

シミュレーションの結果は、随時フィードバックをしながら開発のフローにのせないと意味がない。ところが、従来の方法では満足なアウトプットが得られるまでに、かなりの時間がかかっていた。

「実を言えば、Ninjaのプロジェクトが始動する前から、シミュレーションの短期化には取り組んでいたのです」

森川は、どの会社とパートナーシップを結べば短期化を実現できるか、独自にリサーチをしていた。すでに、特殊なシミュレーションを行う技術のある協力会社と連携し、テストもはじめていた。

「テストをはじめて半年が経った頃には、バイク一台の解析に、これまで1ヶ月ないしは1ヶ月半かかっていたのが、最短で3日にまで短縮できるようになっていたのです」

技術は確立できた。あとは、計算速度をいかにあげるか。そのためには、コンピューターの性能をあげさえすればいい。解決の道筋は、見えていた。ところが、その先に森川の予想だにしない展開が待ち受けていた。

これまでの前提が、
崩された瞬間。

カワサキには、上層部へ技術に関する最新情報を共有する場が設けられている。技術本部の組織のトップが並ぶ会議の場で、"事件"は起きた。森川らが取り組んでいたシミュレーション短期化の成果について報告がなされた時のことだった。

「表向きは、技術紹介。でもこちらの思惑としては、必要なマシンの購入について了承を得たいと思っていたのです」

ところが、技術の説明の後、コンピュータが話題に上った途端、風向きが変わった。

「お金の話を聞きに来たんじゃない。技術の話を聞きに来たんだ」

技術本部トップからのその一言で、予算取りの話は、そのまま立ち消えになった。

「その時は、がっくり来ましたね。技術的には完成したのに、あと一歩のところで叶わなかった。まさかの展開でした」

だが、森川はこうも続ける。

「技術ができたとしても、我々にはまだ何の実績もない。予算がつきにくいのも当然のこと。あの時、トップの一言があったことで、いいコンピュータじゃないとできないという思い込み、前提が崩された。結果的に、それが良かったのだと思います」

最小限の計算で
最大限のアウトプットへ。

次にやるべきことは、明白だった。お金をかけずにできること。それはコンピュータを増設しなくても、通常のデスクトップで、短期間で計算できる方法を考えることだった。シミュレーションをコンピューター上で行う場合、まずはじめに解析対象をメッシュ分割する必要がある。解析対象の形状をコンピューターで計算できるように、形状が単純で小さな要素の集合体として表すのだ。当然、メッシュが細かくなればなるほど、解析の精度も上がる。一方で、計算にかかる時間も増えていく。

「計算時間を短くするためには、メッシュを粗くすればいい。ただ、解析の精度は落としたくない。極力最小限の計算に抑えつつ、精度を維持するには、繰り返し計算をどの時点でやめるか。従来の手法にとらわれない発想が必要でした」

森川は手始めに、重点的に解析を行うパーツを選別した。バイクは、その性質上、外部に露出している部品点数が多い。だが、風圧の影響が少ないパーツも中にはある。森川は部品単位で、見直しを進めていった。パーツを細かく選別したことで、コンピュータを増設せずして、シミュレーションの短期化もできるようになった。ちょうどその頃に、『Ninja H2』『Ninja H2R』の話が舞い込んできたのだった。

1日1ケースをシミュレーション。
驚異的なスピードを実現。

『Ninja H2』『Ninja H2R』の解析に要した期間は、2ヶ月弱。従来の手法では一度しかシミュレーションができていない計算になる。だが、シミュレーションの短期化によって、1日1ケース、通算40ケースのシミュレーションを行うことができた。結果的に、ものづくりを始める前段階では、これまで把握が難しかったエンジン冷却性能や、空力特性などを、効率的に把握することができた。

「特にやりこんだのは、風をいかにエンジンに取り込んで、冷却するかですね。あそこまでやり込んだ機種は、他にはありません」

ラジエーターに効率よく風を集めるために、シミュレーションの結果をもとに、カウル(空気抵抗を減らすために車体を覆う部品)を前にだけつける新しいスタイルが生まれた。

「ゼロからつくった、これまでにないスペックのバイクでしたが、事前にシミュレーションを行っていたことで、最初の試作で基本的な冷却性能を確保することができました」

今までにないスピード感でアウトプットが出せるようになったことで、設計やデザインの部門とのやりとりも増えた。おかげで、彼らがやりたいことを実現するための後押しができたと森川は語る。航空機の設計部門が担当したH2Rの側面位についている特徴的なウイングも、森川らのシミュレーション技術の賜物だ。

「趣味性が高いカワサキのバイクだからこそ、デザインのクオリティを担保しつつ、安全面を守る必要がある。どうすればデザインを殺さずに、安全性を高められるか、という観点で仕事をしていました」

このプロジェクトを終えて、森川自身にも変化があった。

「デザインや設計との会話が増えたことで、自分の視野が広がりました。さらにはシミュレーションの短期化について記事の執筆依頼や、講演の依頼をいただくようになった。人との繋がりも広まっていると思います」

これまでの人生、やるか、やらないかで悩んだら、必ずやる方を選んで来たという森川。いま森川が「やる」と決めていることは何か、最後に聞いてみた。

「詳細は、この場では、まだあかせません(笑)。唯一言えるとしたら、さらに新しいことに挑戦している、ということだけ。シミュレーションにおいて、やれていないことはまだまだある。今回のプロジェクトを通して、より強く思うようになりました。今後も引き続き、新しいこと、まだ誰も挑戦していないことに、積極的に取り組んでいきたいと思っています」

森川 学(Manabu Morikawa)
川崎重工株式会社
モーターサイクル&エンジンカンパニー技術本部
技術管理部 開発技術課主事
2005年新卒入社。入社以来、バイク部門の数値解析に携わる。構造解析を経験したのちに、2010年より数値流体力学を活用したシミュレーションに着手。
公式サイト:http://www.kawasaki-cp.khi.co.jp/index.html
TEXT BY 山田知奈(株式会社パラドックス)
PHOTOGRAPHY BY 今井裕治