若者の新聞離れと戦え。

毎日新聞社145年の歴史の中で、一社員の発案から新規事業が立ち上がった数少ない事例。それが、ニュース時事能力検定だ。時事問題を読み解く力を測る検定として、2007年に創設。現在に至るまで、学校から企業まで延べ8500団体が参加し、志願者数は累計32万人(2017年3月現在)に上る。なんのノウハウもない中、いかにして検定ビジネスを軌道に乗せたのか。ニュース検定の発起人であり、丸10年、事務局の運営に携わってきた毎日新聞社、出川研氏に話を聞いた。

運命が変わった、あの日。

おそらく、あの出来事がなければ、出川が毎日新聞社に入社することもなければ、ニュース検定を立ち上げることもなかった。あの出来事。それは、1995年1月17日、兵庫県南部を襲った阪神淡路大震災だ。神戸市内の自宅で被災した出川は、当時26歳。大阪にある住宅建材を扱うメーカーに勤め始めた頃だった。

「避難先の小学校でみた光景は、今でも忘れられません。1階の教室がご遺体の収容場所にもなっていたのですが、それはもう、今まで見たことのないようなおびただしい数の棺桶が並んでいました」

水道、電気、ガス、電話。ライフラインは全て止まっていた。テレビが視聴できない状況の中、唯一の頼りになったのは、ポータブルラジオだけ。一切、事態が把握できないまま、刻一刻と日も暮れていく。孤立感が強まっていた。そんな時だった。「新聞が届きました」という声があがるや否や、重苦しい雰囲気が立ち込めた避難所に、突如拍手が沸き起こった。震災当日、1月17日の夕刊が7時間遅れで、避難所に届けられたのだった。

「この時が、被災者が日常を取り戻した最初の瞬間だったと思います。情報のインフラが、一番最初に復旧したのです」

出川が新聞というメディアの大切さを、まざまざと感じた瞬間だった。

「災害が起きたら、電気は使えない。携帯も使えなくなる。最後は人の手で届けるしか方法はないんですね。新聞が果たす役割は本当に大きい。自分も新聞というメディアに、なんらかの形で関わりたいと思うようになったんです」

こうして震災から4年後、出川は毎日新聞社の門を叩くことになる。

情報インフラ崩壊の危機。

入社後配属になったのは、販売局。全国の販売店を、エリアごとに管理するのが主な仕事だった。出川が担当したのは、千代田区や中央区。2000年前半、都心の再開発が進み、タワーマンションがいくつも立ち並ぶようになっていた。

「ちょうど時代の変わり目だったんでしょう。いざマンションの入居が始まっても、新聞を購読している人が、入居者全体の半分くらいしかいなかった。僕にとって衝撃的でした」

購読者が減れば、情報インフラとして新聞は機能しなくなってしまう。あの震災を経験している出川にとって、それはあまりにも受け入れがたい事実だった。さらに、もう一つ、出川には懸念していることがあった。

「担当しているエリアには大学もあり、一人暮らしの学生も多かった。若年層の新聞離れも著しかったのです。どうすれば若い人に新聞を読んでもらえるか。頭を悩ませるようになりました」

読むのが当たり前だった時代から、読む意味が必要な時代へと、新聞を取り巻く状況は、確実に変わりつつあった。一方で、ネットニュースが台頭してきていた。なぜ読まないのか理由を聞くと、ネットで見ているからと答える人がほとんどだったのだ。

「ネットニュースでは、自分の興味のある情報しか目に入りません。網羅的に情報を読み解く機会が明らかに減っている。その影響からか、ニュースが分からないという若者も増えていた。ニュースを学ぶ機会を作ったら面白いんじゃないかと考えるようになったのです」

はじめに、夢ありき。

ニュース検定の構想が浮かんだのは、2003年頃のこと。アイデアを会社の後輩に話したことがきっかけで、人づてに話が広がり、紙にまとめるように上長から指示を受ける。出川は思いつくままに、企画書を書いた。

「当時は、自分でやろうという気はさらさらなくて(笑)。会社としてやったらどうだ、という考えで企画書を作ったんですよ」

その企画書は出川の手を離れ、社内を渡り歩き、上層部の目に止まった。「ぜひやろう」と言われた二言目には、「言い出しっぺの君がやりなさい」寝耳に水だった。当時、新聞社としても新たなビジネス領域を開拓するべく、新規事業に力を入れようとし始めた頃だった。だが、新規事業の立ち上げ経験者も社内にいなければ、何のノウハウもない。最初はPLやBSの読み方から勉強した。
にも関わらず、出川は当初、楽観的だった。

「真っ白いキャンパスに絵を描くのは好きなタチ。面白そうだと思いました。その後起こることを、想像していなかったから」

新規事業開発室に異動後、出川は手始めに、ありたい世界観を具体化していった。全国の子供達がニュース検定を通じて、ニュースに関心を持つ。新聞に興味をもつ。出川の脳裏には、ニュース検定を活用して、子供達が勉強をしたり、試験を受けているところが、ありありと浮かんでいた。

「実現したい未来を描いた後で、後付けで事業計画をつくりました。先に数字があったとしても、なんの意味もない。自分が想像できないものは、実現できるわけがないと思ったんです」

だが、事前のリサーチでは厳しい結果が待っていた。

現役の高校生に、時事問題の模擬テストを受けてもらい、その後のリサーチインタビューでは、「こんな検定はタダでも受検しない」と、散々な回答で溢れた。

「彼らの話の内容からは、とても潜在的なニーズがあるようには思えませんでした」

自分のアイデアへの確信が、いかにバイアスがかかった思い込みに支配されていたかを痛感した。

2期連続赤字。やめてたまるか。

リサーチ結果が示唆していたとおり、検定開始初年度に団体受検を実施した高校は、わずか18校。
決して順調とはいえないスタートだった。
教育や検定に関しては、全くの門外漢。どうしたら検定の受検者を増やすことができるのか。出川はさまざまな教育関係者に会って話を聞くよう努めた。

「ある学校の先生が、子供達は新聞を読まないのではなく、読めないんだと言ったのです。難しいから読めなくなっているんだと。また別の先生は、こういう検定を待っていた。ぜひ活用したいと言ってくれた」

ニュースを読み解く力は、教育現場においても必要とされている。ニュース検定が果たす役割は大きい。出川は、確かな手応えを感じ始めていた。ところが、新規事業スタートから2年後。出川は本社から呼び出しを受ける。

「あの頃、当社は経営的に厳しい局面を迎えていました。赤字事業をこれ以上続けても意味があるのか。やめてしまえ、という厳しい声もあることは、知っていました」

事実、この2年間の間、赤字は膨らみ続けていた。リーマンショック後の当時の状況を考えれば、長い目で新規事業を育てる余裕がないのも明らかだった。だが、経営陣の前で、出川は粘った。

「この事業がうまく行くかどうかは、私が一番わかります。もう少しだけ時間をください。絶対に形になります。もし仮に撤退することがあったとしても、そのタイミングは私に決めさせてください」

出川の熱弁に、経営陣も最後は折れた。「まだ始めたばかりなんだ。3年は見守ろう」助け舟を出してくれた幹部の一言で、撤退は免れたのだった。

3年越しの約束。

検定の主な収益源は、受検料だ。志願者が増えれば増えるほど、当然収益も増える。志願者数を増やすべく、出川は営業活動に奔走した。狙うは、学校単位の団体受検だ。とはいえ、新聞社には教育機関との直接のパイプはない。ダイレクトメールを一斉に送り、資料請求のあった学校に絞って、アポイントを取り付けた。日本全国津々浦々、問い合わせがあれば、出川は喜び勇んで飛んでいった。

「とある地方の高校にお邪魔したとき。のどかな田舎町にある学校だったんですが、ふと確信がわいたんです。全国にこういう高校が、まだまだたくさんあるに違いない。間違いなく、ニュース検定は広がって行くはずだと」

さらに追い風になったのは、AO入試、推薦入試だった。

「大学入試のあり方も変わりつつあり、AO入試、推薦入試の枠が増えていた時期だったんです。単純な学力だけではない、自分のセールスポイントのアピールが必要。そこでニュース検定が、ひとつの資格として注目されるようになっていったのです」

広く社会に目を向けて、問題意識を持っている人材は、大学が欲しい人材像とも重なる。出川は、大学サイドにもニュース検定の周知を行なった。その結果、受検者数はじりじりと増えていった。

「ちょうど受検者数が3万人に差し掛かったところが損益分岐点でした。ここまで来るのに丸3年。経営陣との約束の3年に、ギリギリ間に合ったのです」

ゴミ箱の中にも、チャンスがあるかもしれない。

黒字化を果たした後も、ニュース検定は順調に志願者数を伸ばし、事業は右肩上がりに成長を続けてきた。2016年度の志願者数は、約5万4000人。志願者の9割以上が20代以下で、高校生や大学生が大半を占める。出川が当初描いた青写真の通り、多くの子供たちがニュース検定を通して、ニュースを学ぶようになった。2017年、立ち上げから10年以上携わったニュース検定の現場から、出川は離れた。

「現場から離れた今、客観的に見ると、非常に手堅いビジネスだと思う。いきなり売上が半減するようなリスクはありませんから。けれども、自分が代表を務めていた時は、常に危機感しかありませんでした」

新規事業は、立ち上げたら最後、24時間365日、頭から離れない。明日どうなるかわからない、という思いは常につきまとう。経営者には、逃げ場はない。

「こんなに大変だとわかっていたら、最初からやっていませんでしたね。嫌になったこと?毎日ですよ」

言葉とは裏腹に、出川の表情は明るい。苦労話を聞こうとしても、「ターニングポイントになるようなエピソードは特にない。毎日が戦いでしたから」と出川は笑う。

いま、出川は本社のトータルビジネス室で働く。ニュース検定に次ぐ、第二、第三の新規事業を育てるべく、尽力する日々だ。

「メディアが多様化し、新聞社の立ち位置も大きく変わってきている。私たち新聞社には、145年培ってきた信用をはじめ、目には見えないさまざまな財産がある。その財産を生かした事業には、たくさんの可能性があると思うのです」

「今まで見落としてきたもの、たとえばゴミ箱の中にも、新たなビジネスのタネがあるかもしれない」

誰もが目を向けていないものに、あるいは目に止まらない有形無形の財産に、出川はチャンスを見出す。新たなビジネスアイデアは、現在トライアルの段階に入っているという。新聞社の情報インフラとしての使命が、今なお出川を駆り立てている。

出川 研(Ken Degawa)
毎日新聞社トータルビジネス室
1999年、毎日新聞社へ入社。販売局にて7年勤務。2006年に新事業開発室へ異動。株式会社毎日新聞教育総合研究所の立ち上げに尽力。2007年に取締役、2013年に同社の代表に就任。2017年4月より現職。
公式サイト:https://www.mainichi.co.jp/
TEXT BY 山田知奈
PHOTOGRAPHY BY 佐藤登志雄