「役に立たないロボット」が、人々に “夢” を見せる。

シルバーのボディに愛くるしい動き。1999年、ソニーは家庭用犬型ロボット『AIBO』の発売を発表した。それは、ほとんど空想上の存在であったロボットが、はじめて身近になった瞬間だったのではないだろうか。今回お話を聞いたのは、当時ソニーエンタテインメントロボットカンパニーの統括を担っていた天貝氏(現:株式会社モリフィア代表)。爆発的な話題を生んだ『AIBO』開発の裏側や、当時のソニーがロボット事業に舵を切った理由を伺った。

ロボットとは、
エンジニアリングの総合芸術である。

—長年、ロボット関連の事業に関われていたのでしょうか。

実は、入社してからはテレビやディスプレイ関連の企画を担当し、その後は海外赴任を経て人事をやっていました。つまり、ロボットとは無縁の部署です。大学のころは、「 “鉄腕アトム” がつくりたい!」と思って、人工知能を専攻していましたが、ソニーに入ってからはロボットとは関係のない仕事をしていましたね。私が入社したころは、ロボットなんてまだまだ空想の産物。しばらく働くうちに “鉄腕アトム” のことなんて、すっかり忘れて仕事をしていました。

—なぜロボット事業に関わることになったのですか?

社内には、様々な技術開発を行なう研究所が多数存在していて、そのうちの一つがロボット関連の研究を行なっていたのです。そこの所長が、当時のソニーの中でもカリスマ技術者といわれる土井さんという方。私はアメリカから帰任後の1997年秋に、ソニーの研究所の人事をみるR&D人事というところの担当になり、土井さんの研究所もその一つでした。その後、いよいよロボットをビジネスとして組織化するというタイミングで、大学で人工知能を研究していて、人事経験もある私に白羽の矢が立ったようです。そこから、社内カンパニーの立ち上げに関わることになりました。それが、後のソニーエンタテインメントロボットカンパニーです。

—ロボットをビジネス化するという経営判断には、どんな理由があったのですか?

ロボットは “エンジニアリングの総合芸術” と表現されることがあります。センサーから入った情報を人工知能が解析して、電気信号でメカトロニクスに指示をだす。まさに、技術の結晶みたいなものなのです。土井さんは、ロボットの研究所とは別に、ソニーCSL(コンピュータサイエンスラボ)という、自由な環境で俊才が世界的レベルで開花するのを推進する研究所を設立されていて、ロボットの事業化についても、自由闊達な雰囲気でメンバー自らがどんどん前に進んで行く組織を思い描いていました。そういう環境が、ソニーらしく、世の中に夢と驚きと感動をあたえるロボットの創出に寄与すると考え、それに我々も賛同して頑張った、というところでしょうか。

200人に送られた
CEOとの公開討論メール。

—事業は順調に進んだのですか?

苦労することは沢山ありました。ソニーとしてもはじめての取り組みですし、世界を見ても産業用ではない、エンターテインメントロボットをちゃんと事業化できている前例はありませんからね。社内でも意見の食い違いや、衝突が起きるのは当然です。当時『QRIO』という二足歩行ロボットを開発していた時のこと。『QRIO』を市販するか否かで、土井さんと当時のCEOの出井さんの意見が食い違っていました。そのやりとりを、お二人が公開討論バトルとして、メール上で社員に公開していたんです。

— “公開討論バトル” とはどういうことでしょうか?

土井さんが、これは『QRIO』の今後の運命に非常に重要な意味を持つのでということで、カンパニー社員全員をCCに入れてやりとりしていたんですね。最終的には200人以上がCCに入っていたんじゃないかな。もちろん二人とも大人なので、「バカヤロー!」みたいなやりとりはありませんが(笑)。あくまでも、両者が技術やマーケットインパクトやソニーブランディングの事をどう考えて、どうしたらいいのかを熱く議論していました。CEOと技術者が直に一対一でやりあうだけでも珍しいのに、それを社員に公開してしまうなんて普通ではありえないことだと思います。

—そういうところは、なんだかソニーらしさを感じます。

いや、ソニーでも、本当に珍しい出来事でした。土井さんは、『QRIO』の開発に心血を注いでくれたメンバーが、「販売しない」という結論だけ聞かされたら、きっとものすごく悲しみ、モチベーションが一挙に無くなってしまうだろうと心配されていました。だからこそ、確信犯的に、出井さんと議論を闘わしているところを共有したかったのだと思っています。

何もできない
ロボットをつくろう。

—『AIBO』の開発はどのようにしてはじまったのでしょうか。

私は、最初の開発には関わっていないのですが、土井さんを始め、複数の関係者から「まずは、エンターテインメントで人々を感動させよう」というのが出発点だったと聞いています。あくまでもエンターテインメントなので複雑な機能は要りません。当時の先端ロボット技術の限界と、ソニーと言う企業の特長を鑑みた慧眼ではないでしょうか。限られたことしかできない、でも愛らしいロボット。つまり「役にたたない」ものをつくろう、というのが『AIBO』の開発コンセプトでした。ただ、いざスタートしたはいいものの、想定スケジュールは不可能に近いほどタイト。世界にまだ存在しないレベルの製品をつくるだけでなく、販売までしようという計画でしたからね。客観的にみたら「できるはずがない」と思うのが普通だと思います。

—それでも、なぜ販売に至ったのですか?

コンセプトがシンプルで明快だったからだと思います。人間は動くものに愛着を感じます。ぎこちない動きの方が、かえって可愛らしく感じることってありますよね。自分で考えてトコトコ歩き、撫でられたら懐いてくれる。判断がブレないことが大きかったと思います。チーム全員が同じ方向を向き、開発を進めることができました。だからこそ余計な作業が減り、開発の時間も短くすることができたんじゃないかと思います。土井さんは「燃える集団」と称していました。

—発売後の反響はいかがでしたか?

想像をはるかに超えてました。まず、カンパニー立ち上げの前にテスト販売を3回やったのですが、ものすごい売れ行きでした。話題にもなって、3回ともあっと言う間に完売。初回に、20分弱でサーバーがパンクしたのは有名です。このテスト販売の直ぐ後に、いろいろな「偽物(フェイク)AIBO」のようなものも市場に出回りました。あまりにも似ているので、何度か訴訟も検討しましたが、すぐ逃げていって忽然と姿を消してしまう。まさに、イタチごっこ(笑)。そんなエピソードもありつつ、本番販売の際も滑り出しはとても順調でした。でも、実はその後の販売はあまり伸びなかったのです。

勝利の方程式が、
すべて裏目に。

—なぜ、伸び悩んだのでしょうか。

『AIBO』のような画期的な新商品に直ぐ飛びつく人たちは、イノベーターとかアーリーアドプターとか言われますが、そういう人たちの購買が一巡したあとの販売が難しかった。マーケティングの勝利の方程式と言われているものがあります。それは、「商品ラインアップを増やす・価格を下げる・販路を増やす」の3つ。全部やりましたが、そのすべてが上手くいきませんでした。ラインナップを増やしても、別のモデルからお客様が移るだけで、1+1が2ではなく1.2くらいしか売れませんでした。また、価格に関しても、下げれば売り上げが上がるという価格弾性はほとんど無く、値下げはむしろ逆効果。ロールスロイスが安かったら、ロールスロイスをもつ優越感やプレミアム感がない、みたいな。販売チャンネルに関しても、増やすほどに確かな顧客応対や商品説明ができなくなってしまう。やることが全部裏目に出てしまいました。また、もう一つ言えば、インテル型ビジネスモデルが通用しなかったというのもあります。

—インテル型ビジネスモデルとは?

OpenRと称して『AIBO』のアーキテクチャーを、外部にオープンにし、誰でも使えるようにすることで、ロボット業界全体が盛り上げようと思っての戦略でした。大手のエレクトロニクスメーカーや、ロボットビジネスを目指す中小ベンチャーあたりが興味を示すのではと見込んでいましたが、まったくそんなことはなく、反応を示したのは世界の大学や学術機関が大多数でした。そもそも、使いこなせる人がほとんどいなかったのです。ソニーによくある、 “早すぎた” ってやつですね。このような失敗がいくつも重なって、最終的には販売を中止することになったのです。

—『AIBO』は代表商品のイメージがありましたが、あまり売れなかったのは意外です。

それでも、『AIBO』は今でも、恐らく100,000円以上のプレミアムな自律型エンターテインメントロボットでは、世界で一番売れたロボットだと思います。また、ブランディングという観点では、ソニーイメージに大きく貢献したと思います。当時、「SONYといえば、どんな商品を思い浮かべますか?」という市場調査で『ウォークマン』『プレイステーション』と並んで多かったのが『AIBO』でした。あとは、熱烈な『AIBO』のファンの間でコミュニティのようなものも生まれていました。当時はSNSやブログも無いような時代でしたが、それでもファンが集って我が『AIBO』を紹介しあう、それによって、ファン通しの友好の輪ができる、中には結婚にまで至った、なんてこともありました。最近、後継機の『aibo』が発売になりましたが、多くの初代『AIBO』のファンにも買っていただけているようです。そんな話を聞くと、なんだか感慨深いものがありますね。

独立した後もみんな、
「ソニーファミリー」

—その後もロボット事業に関わられていたのですか?

いえ、その後ソニーとしてロボット事業全体を縮小するという判断になり、私も離れることになりました。いくつかの業務を経て、今の静脈認証に遭遇しました。最近のセキュリティ対応技術として指紋や顔などの生体認証が増えてきていますが、我々の静脈認証はその先を行く、最先端の技術として世界中への普及を目指しています。しかし、ソニーはソリューション型のビジネスに長けているわけではないので、生体認証はコア事業にはなりづらい。事業を進める中で徐々にそう感じるようになり、独立して社外でビジネスを拡大しようと決めました。

—独立に反対はされなかったのですか?

逆に、驚くほどサポートしていただきました。ニュートラルでのスピンアウトということで、資本は入れてもらいませんでしたが、例えば、開発で使用していた開発環境やソフトウエア資産をソニーの金融系子会社が買い取って割賦販売をして下さったり、開発設計に関わっていた社内の優秀なエンジニアを期限付きでそのまま出向させてもらったり。トレードマークや特許なんかも、非常にリーズナブルな条件で譲り受けました。役員に独立の挨拶にいっても、皆さん応援してくださり、文字通り円満に独立することができました。

—なぜ、そこまで後押ししてもらえたのでしょうか。

静脈認証のポテンシャルは、みなさん理解されていたと思います。同時に、それがソニーのコア事業として成長しづらいだろうということも。だからこそ、スピンアウトを受け入れてもらえたのだと思います。あとは、「独立=ソニーの人間じゃなくなる」という考え方があまりないのだと思います。ソニーを辞めたOBで集まるときも、いつもするのはソニーの話。時には文句も言いますし小姑みたいな会話ばかりしていますが、みんなソニーが大好きなんですよ(笑)。私も独立当時だけでなく、今も多くの温かい叱咤激励をいただいていて「ソニーを去ってもソニーファミリ―」ありがたいことだと感謝しています。私も、ここまで応援してもらったからには、必ずや、万人に優しい静脈認証を世界に普及させて、それをソニーへの恩返しにもしたいと思います。

天貝 佐登史(Satoshi Amagai)
株式会社モリフィア 代表執行役社長
 
1954年栃木県生まれ。東京工業大学大学院システム科学(人工知能)専攻修了後、1979年ソニー株式会社入社。1981年より二度ソニーアメリカに赴任し、テレビ商品企画やディスプレイ事業企画に関わり、1997年より国際人事部長、R&D人事統括部長を経験。2000年、エンタテインメントロボットカンパニー・プレジデントを拝命。その後、2006年社長室長、2007年FVA(指静脈認証)事業開発室長を歴任した後、2010年に独立し株式会社モリフィアを設立。
公式サイト:https://www.mofiria.com/
TEXT BY 山田知奈
PHOTOGRAPHY BY 今井裕治