失敗したって、何度でもリターンマッチを仕掛ける。

これまで桁外れの「失敗」をしてきたと、取材開始早々、豪快に笑う。その人こそ、今回の主人公、根本章二氏だ。若き日の大失敗、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ(現ソニーモバイルコミュニケーションズ)の立ち上げ、そしてスティーブ・ジョブス氏との邂逅まで。長年のキャリアを振り返りながら、他ではなかなか聞けない貴重な話を伺った。

実行しないと、
失敗にすら気づけない。

—1979年のご入社から現在に至るまで、振り返ってみると、いかがでしょうか?

売上が1兆円に満たない頃から今に至るまで、非常にいい時期を経験させてもらったなと思います。いい意味で、イノベーションを起こすにはこうしなきゃいけないんだな、というのを体験できた世代だと思うんですね。多様な経験を持った人が、ある一つのビジョンのもとに集まって、オープンな雰囲気で、お互いにダメなこともいいことも話せる風土があって。「少し失敗しそうなものは、机の下でうまくやって、闇から闇へ葬れ」と、コンセプチュアルなことをおっしゃる方も社内にはいらっしゃって(笑)。仮説を立てたら、まず実行する。それが、当たり前のように担保されていました。マーケットを見て、本当にカスタマーインサイトを突いているか検証をして、仮説をもう一度見直す。そういう作業を繰り返す場が、豊富にあったように思うんです。

—差し支えなければ、闇から闇へ、こっそり葬られたようなエピソードを教えてください。

たくさんありますけど(笑)。こっそりではなくて、かなり大それたこともありますね。「小型化すれば売れる。斬新な機能を埋め込めば売れる」と思って開発して、本質的なカスタマーペインって何なんだろうというところが、抜け落ちていた商品もあります。例えば、『ハンディカム』で、映像を撮ったあと、動画をシェアして楽しむバリューがあるんじゃないかっていう仮説のもとに作った商品があったのですが、『Instagram』のようなソフトをつくるところまでは考えられなかったんですね。本質的な事業モデルまでは考えが至らずに、技術的に面白いとか、商品としてかっこいいとか、そういう視点で突っ走って。その当時の販売会社の人の反応なんかを見ると、中には首をかしげる人もいたんだけれど、そういうのは敢えて見て見ぬふりをして(笑)。案の定、その商品は1年半くらいで生産中止。止めるとなった時は、大変でしたよ。方々に謝りに行きましたし。あの時はね、随分しょげていたと思いますけど、今考えれば、その結果から学ぶというのが大事だったと思うんです。そもそも実行しないと、気づきすら得られないですから。

成功の逆襲。

—2005年、ソニー・エリクソン・モバイルのコーポレートバイスプレジデントになられていますね。

その当時は、ソニーとエリクソン、フィフティフィフティのジョイントベンチャーをつくって、携帯基地局を持っていたエリクソンと、ソニーの商品の面白さを掛け合わせて、一気にグローバルプレゼンスをあげようというタイミングだったんです。2001年に会社を設立したものの、なかなか苦労をしてまして。そんな時、入社してからずっと、パーソナルビデオばっかりやっていた私に声がかかったんです。「お前、電話やってみろ」と。こういうところが、ソニーの面白いところだと思うんですけど。ずっとドメスティックで同じところで育ってきて、ましてやBtoBのビジネスも初めてですから、「え?俺?」という感じでした(笑)。

—どのようなご苦労がありましたか?

最初は、結構悩みましたよ。初めてスウェーデンに行ったときなんて、オペレーターの会話の8割、理解できないくらい。スウェーデンにあの当時、3000人くらいいて、その他にも中国、インド、アメリカ、日本と拠点がある。その全部の統括ですから。だいたい金曜日になるとね、USのAT&Tから電話がかかってきて、「このままだとローンチできない、どうするんだ」と怒られて、謝りに行ったりして(笑)。最初の1年は、足をひっぱるだけだったと思います。精神的には辛かったけど、あの時の私のアセットは、今思えばすごく大きい。幸いにもラッキーだったのが、井原さんをはじめ、初代の方々が築き上げていた土台があったこと。土壌はあるから、あとはもう頑張るだけだと思いました。ソニーだからできる携帯をつくろうと、『ウォークマン』というブランドを借りてきて、音楽携帯をインテグレーションしたら、ソニーらしいユニークな携帯だと、これが結構売れたんです。そこで、今度はカメラだと、『サイバーショット』というブランドを借りてきて、『サイバーショット携帯』を出しまして。その当時、全世界で1億台近く売るまでになりました。

—当時のシェアはどのくらいだったのでしょうか。

トップはノキアですね。ノキアはジャイアントでしたから全世界でシェア5割くらい。その次にモトローラーがあって、サムスンがあって、我々は世界4位。売上高としては1兆円程度のプレゼンスになっていて、非常に収益も高かったんです。2006年にアップルの『iPhone』が出るまでは。これはイノベーションのジレンマだと思うんですけど、『iPhone』が出た時、我々は「面白いけど、こんなに大きいのはヨーロッパじゃ売れないよね」なんて言っていたんですよ。やはり人間、心地よいところに留まってしまう傾向がある。成功の逆襲じゃないですけど。これは私自身、非常に反省しているんですけど、お客様の変化、マーケットの変化を先取りするのが、ソニーの文化としてあったはずなんですよ。ところが、『iPhone』に完全に先を越されてしまった。技術的なところで、芽はいっぱいあったのに、やりきれていなかった。

『iPhone』を作った男の
執念と意志。

—2000年代初頭、ソニーが発売していたPDA、『クリエ』は、一説では『iPhone』になり得た、とも言われていますよね。

今の人なら、『クリエ』はハードウェアじゃなくて、アプリケーションで儲けるビジネスモデルだと、誰もが気がつく。けれども、あの当時、それだけ洗練された人が何人いたか、ということなんですね。僕もそうですけど、ソニーって、ハードウェアの格好よさが好きなんですよ。もちろん、格好よさは絶対的に必要。ただ、全体的な視野で、どういうビジネスモデルなのか、どこにフォーカスして投資をしないといけないのか、というところには気づけなかったんだと思います。『クリエ』は、ビジネスとしては赤字ではあったけれど、あと1年、あと2年頑張れば、また違っていたのかもしれない。今考えれば、『iPhone』より圧倒的に早いんですよ『クリエ』って。有機ELも使っていましたしね。我々も『クリエ』と一緒にやっていたら面白いことになっていたのかもしれない。でも、それにはソフトウェアに莫大な投資も必要で、その当時は、年間10万台とか20万台しか売れないようなマーケットに、そんな投資はできなかった。短期的な視点でしか、判断ができなかったんですね。今でこそ言いますけれど、スティーブ・ジョブズと付き合いがあって、彼に呼ばれて会いに行ったことがあるんです。

—それは、『iPhone』が世に出る前だったのでしょうか?

そうですね。あの当時から、彼はソニーが好きで、僕たちが作っているようなデジタルビデオのカムコーダーなんかも大好きで。ちょうど『iPod』が売れている頃だったんですけど、当時から、ハードディスクなんかやめるって言ってました。彼の先を読む力はすごいし、顧客の本質的なベネフィットへのこだわりもすごい。あの彼の執念と「思い込み」とも思える強い意志が、僕のリーダーシップにはなかった、という反省なんです。ジョブズも失敗の中から、学んでいったのではないかなと思います。

何度でもリターンマッチを
仕掛ける奴であれ。

—次世代に伝えたいソニーのDNAとは?

好奇心は、失わないでいてほしいですね。新しいことに興味を持って、ずっと勉強し続ける。創業者の盛田さん自身もそうでした。60を過ぎてからスキーを始めたり、ダイビングを始めたりされていましたから。これからの世代の方にも、好奇心は常に持っていてほしい。それを生かして、事業モデルに転換する姿勢を、持ち続けて欲しいんですよね。私自身としては、ビジネスプロデュースができるようなリーダーを育てたいと思っています。カスタマーペインを考えて、全体をプロデュースして、コーディネートをして、事業モデルを作る。そういう人に、もっといっぱい出てきてほしい。ヘンリー・フォードが車を作ってから百何十年。グーグルは10年単位。事業モデルのサイクルが、短くなっているんです。それだけ、仮説を立て、実行をして、レビューをして、早くサイクルを回していかないと、次のイノベーションは起こせない。だからこそ、次のビジネスリーダーには、好奇心に基づいて、どんどん新しいことを学習して、吸収して、実行していってほしいと思います。

—今のソニーに欠けているものがあるとしたら?

僕たちが入社した頃と比較して家電業界に優秀な人がたくさん来るようになった。つまりどういうことかというと、失敗した経験の乏しい人が多いんです。その点が、いま少し懸念しているところですね。例えばハーバードビジネススクールは、失敗経験を最初に話させたりする。西海岸のベンチャーキャピタルは、相当辛辣な質問をしながらスタートアップを鍛えていく。失敗や挫折、いろんな体験をした方がいいんですよ。ソニーという会社は、失敗や挫折をたくさん体験してきた会社。間違ったっていい。怒られたっていい。失敗したって、何度でもリターンマッチを仕掛けて来るような、そんなやんちゃな社員が集まっているような会社だと思うんです、ソニーという会社は。

根本 章二(Syoji Nemoto)
ソニー株式会社 主席技監
中国総代表、ディスク製造事業担当

1979年入社。2005年ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ(現ソニーモバイルコミュニケーションズ)のコーポレート・バイス・プレジデントに就任。その後、2008年にオーディオ・ビデオ事業本部長、2011年にプロフェッショナル・ソリューション事業本部長、2012年に執行役 EVP 、2016年執行役員コーポレートエグゼクティブなどを経て、2018年より現職。
公式サイト:https://www.sony.co.jp/
TEXT BY 山田知奈
PHOTOGRAPHY BY 今井裕治