10年先の未来を見つめる。
ソニーが銀行をつくった理由とは。

2001年、金融に関しては“素人同然”のソニー株式会社が、新銀行を設立した。これまでに様々な革新的なプロダクトを世に送り出してきたソニーが、なぜ金融を始めたのか。その裏に流れる、ソニーのDNAとはなんなのか。ソニー銀行設立の立役者である、十時氏(現ソニー株式会社 代表執行役 EVP CFO)にお話を伺った。

半径10メートルで、
終わる人生なんて。

—ソニー銀行設立に関わる前はどんなお仕事をされていましたか。

1987年にソニーに入社してからは、財務部で働いていました。4年くらい経った後、ロンドンで為替や資金調達の機能を持った新会社を設立しようという話があり、海外赴任のお話を頂きました。その頃はまだ20代。しかも、日本人は当時の社長と私の2人だけ。こんな新人をいきなり海外に送り込んで、新規プロジェクトをやらせるなんて、度胸がいいというか、無謀というか(笑)。最初はとんでもない会社だと思いました。今振り返ればですが、この時に会社ってこうやってつくるんだ、ということを学べたのかなと思います。

—新会社設立の後は、どのような業務をされていたのでしょうか。

ベルリンプロジェクトというものに関わりました。ポツダム広場ってあるじゃないですか。89年にベルリンの壁が崩れて、その緩衝地帯といわれている場所です。いわゆる、東と西どちらにも属してなかった土地。そこは、第1次大戦の前までは非常に栄えたヨーロッパの中心地のような所だったので、そこを蘇らせようという話があり、国が民間に土地を払い下げました。その時に、海外の企業と欧州企業、そして現地企業で会社を選んで売却を進めるという意思決定があり、その3社に、日本企業であるソニーが入ったのです。

—プロジェクトは順調に進みましたか?

当時のヨーロッパで最大のプロジェクト・ファイナンス案件でした。私も初めての経験で、完全に手探り状態。何度も壁にぶつかりました。例えば、歴史的な建造物が並んでいるような場所でしたので、その保護をするだけで多額の資金や手間がかかります。保護対象の建造物を油圧ジャッキで持ち上げ、レールの上を動かして新しい建物に組み込むなんていう芸当もやりました。オープンの際に、ベルリン市長を招いて一大セレモニーをやった時に、油圧ピストンが折れて立ち往生して当時の現地法人の社長が激怒する、なんてこともありましたね(笑)。自分の身の丈には合わないプロジェクトだったかもしれませんが、人間放り出されれば鍛えられるということなのでしょう。最終的には、なんとか形になりました。

—いつまで海外にいらっしゃったのですか?

プロジェクトが終わってしばらくして、帰国しました。しかし、しばらく日本で働いているうちに、だんだんと物足りなくなってきたのです。このままサラリーマンをやっていて、仕事がうまくいったら席がちょっと大きくなって、というのをずっと続けていくわけじゃないですか。なんだか、金魚鉢の中に入るような、そんな感じに思えてしまったのです。このまま俺の人生は、デスクの周りの半径10メートルで終わるのかと。そこから、なにか別のことをやりたいと思うようになりました。

個人にとっての金融が
変わる時代がやってくる。

—仕事に対する葛藤が、新銀行設立に繋がったのでしょうか。

一つのきっかけにはなりました。新しいことをやろうと考えた時に、それまで財務に関わっていたので、金融だったら少しは自分にもできるかもしれないと思ったのです。さらに、当時はインターネットが走り始めた時期。インターネットの普及によって個人にとっての金融の重要性が必ず増してくるはず。そう感じていました。

—個人にとっての金融の重要性というと?

金融関連のニュースやマーケット情報を得るためのブルームバーグというWebサイトがあります。今でこそ当たり前に誰でも閲覧できますが、当時はあくまでもプロ向けのもの。ネットの普及によって個人も簡単に情報にアクセスできるようになれば、一人ひとりが金融取引をするような世の中になるはず。そんな未来がやってくるのであれば、金融の情報ベンダーだけでなく、銀行や証券の形も変化するに違いない。そう感じていました。そこで、銀行や証券などの新会社設立の企画書を書いて社長のところに持っていったのです。今思い返すと十数枚程度の稚拙なものでしたけれど(笑)。議論をする中で、証券は別の会社との共同出資、銀行はソニー単体で進めようという話になりました。

—そのまま順調にいったのでしょうか?

まったくうまくいきませんでした。当時は、90年代後半。金融業界でもエポックメイキングな出来事が起きました。それが、北海道拓殖銀行と山一證券の破綻です。護送船団方式の終焉といいますか、規制金融の時代の終わりを告げるような事件でした。そんな状況で、なぜわざわざ金融業に手を出すのかという議論が出てくるわけです。今でこそ銀行のイメージは変わりましたが、当時は“金貸し”の印象も強く、反対意見も多かった。何度もプロジェクトの停止と再起動を繰り返して、ずっと紆余曲折をしていました。

—そこから開業に至った突破口はなんだったのでしょうか?

実は、今でもわからないのです。ずっと議論を繰り返して、4年は経っていたと思います。そもそもやるべきではないという声も強くなっていきました。そこで、当時一緒に銀行設立を進めていた石井さん(現ソニーフィナンシャルホールディングス株式会社 社長)と共に、当時のソニーの社長である出井さんに最後のプレゼンをしようと決めました。これでもし駄目だったら、他の会社に行きましょうなんて話をしながらね。そして、半ば諦めながらプレゼンをしたら「わかった、やれ。」と一言。4年も議論し続けてきたものが、たったの一言ですよ。2人とも呆然としました。

—なにか新しい提案を盛り込んだのですか?

いえ、まったくそんなことはありません。正直、最初につくった企画書の焼き直しです。なぜOKしていただけたのかは未だにわかりません。でも、これはあくまでも想像ですが、試されていたのかなと思います。経営者として、銀行を始めるというのは相当な覚悟がいることです。一回看板を背負って、やっぱりやめますなんて言えません。ましてや、途中で倒すなんてことは絶対にできない。だから、お前たち命懸けでやる覚悟があるのかということを、ずっと試されていたのかもしれないなと思います。

ナンセンスな常識には、
必ず理由がある。

—開業後のことを教えてください。

実際に、事業を始めてからのほうが大変でした。なにしろ、銀行なんてやったことのない人たちの集まり。基本的には、寄せ集めです。志は高くても、足腰がついていきません。開業が決まってからは金融業界から人を集めて、バックグラウンドや考え方がまったく違う人たちを一つの方向に向かせないといけないのです。それまで金融業界でやってきた人たちは自分たちのほうがプロだというのもありますし、我々としては新規参入として既存の考え方を壊したい。その差は常にあつれきや衝突を生み出しますから、並大抵の苦労ではありませんでした。

—当時は、どんな銀行を思い描いて進めていたのでしょうか。

いま実現しているようなことは、当時ネットが普及したらどうなるかという未来予想図がほぼ形になっていると思います。例えば、個人が情報格差なしにフェアに金融取引ができたり、24時間365日取引ができたり、取引のコストが非常に低くなったり。でも当時は、24時間取引ができるといっても自動販売機に人が入っているようなものでした。誰かが会社でシステムを管理していないといけません。入居していたテナントビルの守衛の方から、ソニーさんは3交代制ですかと言われたこともありました。まったくそんなことはないのですが(笑)。それくらい缶詰になりながらやっていましたね。

—ソニーの仕事とのギャップはありましたか。

ご存知の通り、銀行は免許業務です。逆にソニーはあまり縛りのない世界にいます。発想と実行力で勝負ができる世界。あとはあなた次第、みたいな文化があります。これは、銀行のような明確なルールのある業界とは大きく違う点です。実際に進めていると、旧態依然とした考え方ばかりでナンセンスだ、こうした方がいいに決まっているじゃないかと思うことも多々ありました。しかしそこには、必然的にやっていない理由があるのです。それが、合理的か否かは別にして、なにか背景がある。そこは銀行業務に関わって一番学んだことですね。世の中の先人たちは、自分が思っているよりもかなり賢いのです。

—それは、他の業種でも共通しそうなことですね。

そうだと思います。どんな事柄の裏側にも、必ず理由がある。業種にかかわらず、新規参入やベンチャーをやろうとしている人はぶつかる壁だと思います。だけど、それをまた飛び越えていくのも、また醍醐味です。既存のルールやしがらみを十分に知った上で、ひるまないで乗り越えていく。そのダイナミズムみたいなものがすごく重要なことだと思いますし、実際にやりながら非常に印象に残ったことでした。

全てが噛み合って、
初めて成功が見えてくる。

—ソニー銀行設立から現在に至るまで、一番の成功要因はなんだと思いますか。

それは、参入のタイミングだと思います。もちろん立ち上げから拡大するまで、多くの壁を乗り越えてきました。でも、一番は機会をちゃんと捉えたということじゃないでしょうか。要するに、当時は新規参入に対して窓が開いた時期だったのです。既存の金融機関に不祥事が相次いて、業界全体に閉塞感が漂っていました。だから、新しいチャレンジをしたい人がいて、それを求めている世の中があった。これは持論ですが、正しいタイミングで正しい事業を起こせるかということが、一番成功を左右する鍵なのではないかと思っています。

—それは、新たな技術やプロダクトを世に出す時にも当てはまりそうですね。

様々な商品やサービスを見ていて思うのは、そのコンセプトやアイデアは大抵昔から考えられているということです。想像も含めて、ですが。例えばネットの世界でいえば、演算処理のスピードがすごく速くなるとか、クラウド化が進むとかですね。仮に、必ず売れるような商品だとしても、その時の技術力なら多額のコストがかかるとなれば、それは普及しません。時代とタイミングの見極めが重要だと私は思います。

—タイミングを見極めるための秘訣はあるのでしょうか。

それは、わかりません(笑)。ソニー銀行が成功したのも、たまたまだと思います。でも、未来を考え続けるということが大切なのではないでしょうか。特に、優れた技術者ほど長いレンジの将来を見ながら物事を組み立てます。ソニーも技術を源泉にしている会社ですから、常にサムシング・ディファレント、つまり誰もやっていないことを考える文化が根づいている。今も月に一回、技術者を集めて新しい技術の話や、次はどこに注目するべきか議論をする会議があります。この先どういう世界になるのかを考えながら、時代に合わせてタイミングを見極める。それが大事なのだと思います。

—未来を考える力と、適切な時期の見極め。そのどちらも重要ということですね。

そうですね。さらにいえば、今は事業に必要な要素を提供してくれる組織も多いですし、情報もタダ同然で手に入る時代です。ソニー銀行を立ち上げた時よりも、遥かに速いスピードで事業を回せるのではないでしょうか。だから、逡巡ばかりするのではなく、ダメだったら路線変更すればいいのです。多くの会社を見てきましたが、当初の予定のままうまくいっている会社なんてありません。だからこそ、柔軟性と機動力を高めながら事業を進めていく。そして、仮にそれを実行できたとしても、周りが経営陣についていけなければ会社は崩壊します。いいチームをつくって一体感を持つことも欠かせません。その要素がすべて噛み合った時に、初めて成功の可能性が高まるのだと思います。

十時 裕樹(Hiroki Totoki)
ソニー株式会社 代表執行役 EVP CFO
1964年山口県生まれ。早稲田大学商学部を卒業後、1987年ソニー株式会社入社。以降、財務部やロンドンの金融子会社などを経て、1997年よりソニー銀行設立メンバーとして新銀行立ち上げに尽力。2002年ソニー銀行株式会社 代表取締役に就任。その後、ソネット株式会社(現ソニーネットワークコミュニケーションズ株式会社)代表取締役CFOなどを経て、ソニー株式会社にて経営企画、財務、新規事業創出を担当し、現職に至る。
公式サイト:https://www.sony.co.jp/
TEXT BY 新谷建人(株式会社パラドックス)
PHOTOGRAPHY BY 今井裕治