退路を断つ、粘って粘って、そして粘る。

ソニーに30年間在職し、グローバルでトップマネジメントを務めてきた小寺圭氏。デジタル革命の波が押し寄せる中、氏が仕掛けたニュービジネス立ち上げの顛末について聞いた。

「私は2006年までソニーにいましたが、2000年頃からデジタル革命と言っては少し大げさですが、我々が作っている商品がアナログからデジタルに変わっていく中で、当時からものづくりの限界が見えていました。デジタルになると品質の良し悪しが均質化されてくるわけですね。ですから、デジタルテレビなんか一番わかりやすいのですが、最初つくった時には30インチで600,000円もして、これはすごいと思ったんですけど、2年、3年と経つうちに、同じものがどこの会社からも出てきました。そして値段は毎年半分になっていきました。これがまさにデジタルの世界だと思うんです。
ソニーもそうですが、デジタルだデジタルだ言っておきながら、まだまだアナログ時代のものづくりに固執してしまうところがありました。製造する工場がどんどん中国に行ってしまうと、“ものづくり日本”というのが悪さをしてくる。苦しくなると、原点回帰だとか言って。町工場でこんなすごい技術があるとかという話を持ってきて、だから日本はものづくりが大事なんだと。それはやはり違うだろうと、当時から思っていました。ですから、ハードだけつくっているのはもうダメだと。これからはサービスの時代に入っていくだろうということで、私は“コト起こし”と言い始めたんです」

“ものづくり” から“コト起こし”へ。

このパラダイムシフトが試されたのは小寺氏がソニーマーケティングの社長に就任した2001年からのことである。

「ソニーマーケティングの社長になった時に思ったのは、いつまでも量販店や系列のショップなど既存の流通を通して商品を売るのは限界があるなと。当時からネット通販やテレビ通販がどんどん出てきていましたから。それで、サービスビジネスみたいなものが、会社としてできないものだろうかと。私は社内でインキュベーションをやりたいということで、ビジネスプランコンテストを行いました。実は当時こういうアイデアコンテストみたいなものが流行っていたんですね。ただですね、コンテストをやりました、一等になりました、会社から賞金100,000円、これでは私はつまらないと思っていました。みんなよくやったね、面白かったね、それでおしまい。そういうのが非常に嫌でしたね。だから、一等になったプランは会社としてビジネス化するということを条件に行いました。そうすると真剣度も違うじゃないですか」

コンテストには事業化できそうなビジネスモデルがいくつか出てきたという。その中から、実際3つの事業開発を始めた。

「一つめは『eイングリッシュジム』といって、ブロードバンドを使った英語学習ですね。NHK教育テレビの英語講座グループとコラボして、動画編集をして、ネットワーク上でeラーニングをやろうと。ご存知のように今はそんなものたくさんありますね。ところが、それをやろうとしたのは2001年の頃なんですよ。テレビ東京のワールドビジネスサテライトにも取り上げられましてね。これはいいビジネスモデルだなと。
二つめはナビですね。クルマではなくて、グーグルマップみたいな地図検索サービスです。当時スマートフォンなんてないわけで、今でいうガラ系しかない時代にこれをどういうプラットフォームでやろうかと。そうしたらソニーで電子手帳みたいなのがあったんですね。通信できない単なる電子手帳ですが、それに地図のソフトを乗せ、GPSのユニットをがっちゃんこして始めました。
三つめはですね、会社にたまたま帰国子女の女性がいて、その人のアイデアで、日本に駐在している外国人や日本に来る外国人旅行者向けの情報サイトをつくろうと。いわゆる書き込みができて、口コミになるような。外国人向けに事業をやりたい、レストランとか美容院とか、そういうところが広告を載せてくれたらなということで始まったわけです」

始まった3つの事業の経過は?

「3つとも潰れました。なぜ潰れたのか。説明が簡単なほうからいいますと、三つめの外国人向け情報サイトですね。これは結局リーダーをやっていた帰国子女の女性が結婚、出産をしまして退職しました(笑)。帰国子女は他にもいたのですが、この仕事のために異動してもらうのも難しい。強制的にやらせてできるものでもないですし。
あとの二つに関しては、平たく言ってしまうと時期が早すぎました。実はブロードバンドといっても、当時はADSLがブロードバンドといわれていた時代です。なかなか動画が動かないとなれば、CD-ROMでも同じだよねとなってしまう。こうなると仕方ないから、ブローバンドは残しておくものの、CD-ROM版をつくって本屋で売ろうとなってくる。これでは新規事業と言えるものではなくなってしまいますよね。だからこれは早すぎました。CD-ROMでやるビジネスとネットワークでやるビジネスではものすごく違うじゃないですか。たとえば、CD-ROMでは検索機能はつけられないし、チャプターを選べば飛ぶことはできても、ネットワークでできることと比べれば、すごく限られているわけです。CD-ROMなんて過渡的なものでしかないという見通しもありましたし。
もう一つのナビも時期が早すぎたわけですけど、スマートフォンが前提のサービスだったんですよね。電子手帳でやることに非常に難しいものがあって、しかも、GPSは今のように正確ではありませんでした。私もハワイなどでテストしてみたんですけどね。そうしたらこのGPSが衛星を感知するまでに3分ぐらいかかるんですよ(笑)。しかも屋根があるとダメですから、日向に出ていなければいけない(笑)。感知したところで誤差が20メートル、30メートルあるわけですよ。今のように1メートルとかそんな時代ではありませんでした。だからこれもインフラが追いついていない。機器が追いついていないということで早すぎたわけです」

こうして3つのプロジェクトはスタートして、2~3年で消えていった。加えて、小寺氏がソニー・ヨーロッパ・コンシューマー・マーケティング・グループプレジデントだった時期に、ロンドンで始めた『フレンドファクトリー』、現在のフェイスブックのようなネットワーク事業も2年で終了してしまったという。

「どれだけ辛抱強くできるかということなんですね。5年頑張ってやっていたら、大変大きな花が咲いたかもしれない。時期が早すぎたというのなら、インフラが整備されてからやればよかったじゃないかという意見もあるでしょうけれど、世の中に同じこと考えている人はごまんといるわけですよ。だから、インフラができてからやったのではもう遅いということがたくさんあるわけです。大企業だからこそ、インフラができる前に新規事業をスタートさせて、利益が出なくても我慢しているということが本当はできるはずなんです。ただ、大企業の場合、上に立つ人が3年を節目に異動することもあって、後任のトップの意向によってプロジェクトが中止になるということはよくある話です。これが社内ベンチャーの一つのリミットですね」

企業側の忍耐の一方で、社内ベンチャーを起こす側にも問題があると小寺氏は指摘する。

「彼らは身分が保証されているわけですよ。ベンチャーが失敗したところでクビになるわけじゃないですね。会社が億という予算をつけてくれて、いきなり部下が10人持てて、これで本当にベンチャーの立ち上げができますかということなんですよ。新しいベンチャー起こして成功した人は、日本でもアメリカでもそうですけれど、みんなガレージの中で身銭を切ってしこしこと始めたわけですね。社内ベンチャーにはそれがない。ゼロからのスタートではないんですね。最初から100からのスタートなんです。だから100からどんどん落ちて、ダメになっても別の部署に行って、また100に戻れるわけですよ。最初から私は言っておくべきだと思ったのですが、2年、3年は予算あげるよと、だけど、そのあとはスピンオフして会社を作りなさいと。会社に戻ることは許しませんよと。やっぱり、退路を絶っておかないとダメだったんです。そのへんが甘かったかな(笑)」

最後に事業開発において重要なこととは?

「事業開発とか、ニュービジネスというと、みんなアイデアが大事だと当然思いますよね。実際に、自分はこんなに素晴らしいアイデアを持っているという人はたくさんいると思います。でも、本当にそうだろうかと。さっき言いましたようにね、自分が考えることは世界でいったら一万人ぐらい考えていますよ。ものすごいアイデアでも50人、100人は考えているでしょう。だから、大事なのはアイデアではないんです。アイデアを形にする粘り強さ、これが一番大事なんですよ。進んだアイデアを考える人に限って、簡単に挫折してしまうものです。
ラーメン屋さんを見てくださいよ。みんな俺のところは一番美味しいラーメンだと思っている。だけど、みんな美味しいラーメンをつくっているんですよね。私がこれからラーメン屋を始めるとしたらこれは、二番煎じどころか百万番煎じみたいなものですね。それでもそこに入っていって成功する人としない人がいるんですよ。それと同じことで、自分はこのビジネスモデルに関しては一番乗りだということも大事かもしれないけれど、二番乗り三番乗り十番乗りでもいいんですよ。そこで成功するのは誰かといったら、ビジネスモデルがいい人ではなくて、粘り強い人なんです。
私はベンチャーキャピタルの人ともお付き合いがありますが、彼らは真剣ですよ。お金を貸すのと違って、戻ってこないリスクがあるわけですから。彼らがみんな言っているのは、ビジネスモデルにお金を出すのではない、人に出すんだと。この人なら粘り強くやるから大丈夫だと。ビジネスには落とし穴がありますから、穴に入った時に這い上がれる人かどうかが大事だそうです」

小寺 圭(Kei Kodera )
アマダナ株式会社 会長
1946年、東京生まれ。1971年 東京外国語大学卒業後、南印貿易入社 。1974年、ゼネラルモーターズ・ディストリビューション・コーポレーションを経て、1976年ソニー入社。1986年、海外営業本部中近東アフリカ部長、1991年、ソニー・アジア・マーケティング・カンパニー(シンガポール)社長、1996年ソニー海外営業本部長、1997年ソニー・ヨーロッパ・コンシューマー・マーケティング・グループプレジデント、2001年ソニーマーケティング社長、2003年ソニー・チャイナ・インク会長。2006年日本トイザらスCEO。現在は株式会社チェンジ監査役、一般財団法人CHIKYUJIN理事の他いくつかのベンチャー企業のアドバイザーとして活躍。
TEXT BY 和田知巳
PHOTOGRAPHY BY 佐藤登志雄