空前のハイボールブームを巻き起こした男。

サントリー「角ハイボール開発プロジェクト」

ウイスキー市場を席巻した、2009年の角ハイボールブーム。その立役者の一人、奈良匠氏が今回の主人公だ。彼を中心とした若手メンバーが生み出した『角ハイボール』によって、サントリーウイスキー角瓶の出荷量は4年で約2倍に。25年間ダウントレンドだったウイスキー市場のてこ入れを任された彼らが、ウイスキー復権の足がかりを築くまでの道のりを辿った。

ズブの素人に、
“やってみなはれ”。

角ハイボール誕生のストーリーは、2008年、奈良が本社、ウイスキー部門に異動になったところから始まっている。「当時、ウイスキーの主なユーザーは60代や70代で、市場は縮小傾向。事業体としては、かなり苦しい状況でした。最後の聖戦じゃないですけど、ここで挽回しないと後がない。そのくらいの危機感は感じていました」ウイスキーの復権をかけて立ち上がったのが、部署内で最年少の奈良を中心とするプロジェクトメンバー。部門をまたいで営業統括や宣伝部から若手メンバーが集まった。

彼らに託されたミッションは、ウイスキー市場の拡大と活性化。そのための戦略立てから、プロジェクトメンバーに委ねられた。入社以来、営業畑だった奈良に同様の経験はない。「ブランディングとはなんたるか、マーケティングとはなんたるかもわからない、全くのズブの素人でした。最初から道筋があったわけではなく、走りながら考えていました」缶チューハイやビールなど、市場変化の激しいビジネスと比べ、ウイスキーはストック型のビジネス。10年以上の長い歳月をかけて熟成させるため、業界には自ずとスペシャリストが多い。「だからこそ、素人を入れることで一石投じよう、ということだったのかもしれません」こうして、“やってみなはれ”の精神のもと、プロジェクトはスタートを切った。

ウイスキーの
常識を超えろ。

ウイスキーの魅力を知らない世代を、どうすれば取り込めるか。奈良たちが、はじめに目をつけたのは、角ハイボールだった。「ウイスキー自体は売れていないけれど、ハイボールとしての飲み方であれば、少し売れているという現場の声があったのです」実際に、ほとんどの銘柄が前年並みか前年割れの中、角瓶の売上のみ、前年比をわずかばかり上回っていた。ハイボールには、ウイスキー市場を盛り上げるポテンシャルがある。ならば、角ハイという新しいウイスキーの楽しみ方を自分たちで提案しよう。40度というアルコール度数を中和するために、角瓶とソーダを1対4の割合で割る。チューハイのようにレモンを搾る。ビールのようにジョッキで飲む。ウイスキーが苦手な世代でも美味しく飲めるように、と奈良たちは次々に常識を覆すような飲み方を提案した。それは、角ハイという全く新しいお酒の提案だった。

ウイスキーは、サントリーの家業。「本物のウイスキーを、日本でもつくりたい」という創業者、鳥井信治郎の志に端を発している。以来、『響』や『山崎』など、名だたるブランドを世に送り出し、一時代を築いてきた。それだけに、ウイスキーの全く新しい飲み方は、サントリーとしてもチャレンジングな取り組みだった。それでも、奈良は臆さなかった。「ウイスキーというのは、トクトク注いで、氷をカランと言わせながら飲むもの。私自身もそんなイメージを持っていました。でも、そのイメージを変えなければ、新しいエントリーは獲得できないと思ったんです」背中を押したのは、主席ブレンダーの一言だった。「確かに今までにない飲み方だけれど、それが一つの突破口になるならいい。それで若い人たちがウイスキーを飲んでくれるなら」ウイスキーの守り人にお墨付きをもらったことでプロジェクトは大きく前進する。必ずや、角ハイを「突破口」にする。奈良は燃えていた。「実をいうと、サントリーに入社したのも、ウイスキーが好きだったから。ウイスキーに関わる仕事がしたいと自ら手を上げて、今の部署に異動願いを出していた」ウイスキー復権への並々ならぬ思いが、奈良を駆り立てていた。

寝ても覚めても、
角ハイボール。

今のように市民権を得る前は、ハイボールは決して一般的ではなかった。「ハイボール? 本当に売れ筋になるの? 」商談を持ちかけても、店舗側からの反応は今ひとつ。知らないものは仕方がない。いかに「体験の場」をつくり、いかに多くの人に知ってもらうか。角ハイで行くと決まるやいなや、一斉にローラー作戦を開始した。

「とにかく一人でも多くの人に飲んでもらうために、ひたすら現場を回りました。全国の営業の力を借りながら、例えば、東京なら新宿ゴールデン街を、月島ならもんじゃ街を、一斉にローラーしました」7月8月と猛暑にも負けず、奈良自身も全国を走り回った。POPに加えて、角ハイを簡単につくれるサーバーを設置するなど、販促のためのツールにも力を入れた。

その成果は、10月頃に現れ始める。「銀座で1日に100杯出るお店ができたのです」まるでビールを飲むようにジョッキでハイボールを楽しむ人々。それはまさに、奈良たちが思い描いていた理想の絵だった。

しかし、喜びも束の間、依然として厳しい現実が立ちはだかっていた。「目に見える売上には、まだ結びついていませんでした。プロジェクト開始から1年もの間、ずっとそんな状態。成果が出ない時期は、本当にしんどかった」

奈良には、いまだに忘れられない光景がある。「営業マンがほんの1週間前に開拓してくれた、新橋のとある餃子屋さんに、上司を連れて行ったのです。そうしたら、目を皿のように探してもメニューに角ハイボールがない。聞けば、売れないからやめちゃったよと。面目は丸つぶれ。がっくりきました」美味しいはずなのに、なぜ売れないのか。来る日も来る日も、角ハイのことが頭から離れなかった。

空前のハイボールブームへ。

課題は、マーケティング調査によって浮き彫りとなった。冷たさ、濃さ、炭酸圧の満足度が高いほど歩留まりが高い。一方で、角ハイを提供している店舗のうち、本来の手順でつくられ、美味しい状態で提供できているお店は全体の4割程度。品質にばらつきがあったのだ。

「考えてみれば当然ですよね。ハイボールなんて当時出回っていないから、誰も作り方をよく知らない。実際にハイボールをつくるアルバイトのみなさんに、正しいつくり方を教えるのが急務でした」

品質を高めるために、奈良たちは、あの手この手を尽くした。店舗向けにセミナーを実施したり、つくり方を明記したステッカーを配布したりするなど、地道な努力が続いた。こうして美味しい角ハイの「体験の場」ができ上がった頃に、満を辞してCMを打った。大人の隠れ家のようなバーに、バーテンダーの美女が一人。「ウイスキーがお好きでしょ。」という耳に残るフレーズとともに、そのCMは一気に角ハイの認知度を高めた。「何よりも、営業のモチベーションを上げることができたことが大きいと思います。売れている事例が一つできれば、あとは自然と波及していく」こうして角ハイの取扱店数は増加し、エントリーユーザーは拡大。

その後、ハイボール缶の流通によって、角ハイは家庭にも浸透した。今は、ジムビームや知多など、ビームサントリーによるポートフォリオ戦略によって、さらなる市場拡大が進んでいる。角ハイが「突破口」となりウイスキー市場を切り開いた結果だった。

リスクヘッジより、
リスクテイク。

「こんなことを言うと、うまくいってばかりのように聞こえるかもしれませんが、やらかしたこともいっぱいあります(笑)」売上も突き抜けたが、マーケティング費用も突き抜けた。メンバーの発案で発注をしたジョッキやPOPの金額も、億をくだらない。「焼き鳥屋の串入れを、オリジナルで作ったりしたのですが、これが作りすぎてしまって、大目玉をいただきました」今となっては、それも笑い話だと、奈良はいう。「もともと、3年で儲けを出します。2年は勘弁してください、という話をしていました。覚悟を持って挑戦すれば、大概のことは多めに見てもらえた」奈良の話を聞けば聞くほど、やってみなはれの精神が、そこかしこに息づいていることがよくわかる。

新規事業領域において重要な要素の一つに、奈良は「リスクテイクすること」をあげる。「あえてリスクのあることに挑戦をしないと道は開けない。机上の空論ではなく、可能性があると思ったら、まずやってみることが大切」走りながら考え、考えながら走り続けた。

その原動力を聞けば、奈良は志や夢があったからだと振り返る。ビールのように、チューハイのように、ウイスキーを30代が楽しめるお酒にする。その強い意志は、一度も揺らぐことがなかったという。奈良は最後にこう結んだ。「ハイボールをブームで終わらせてはいけない。それを、日本人が心から愛せる『ソウル・ドリンク』に昇華させることが本当のゴールです」

奈良 匠(Takumi Nara)
サントリースピリッツ株式会社
事業企画部 課長/ウイスキーアンバサダー
2001年サントリー入社、札幌支店広域営業課。2003年に、北海道支社企画課 焼酎/洋酒ブランド担当へ。その後、洋酒事業部を経て、2008年にウイスキー部 ブランド担当になる。2015年、スピリッツ企画部に異動し、現在に至る。
TEXT BY 山田知奈(株式会社パラドックス)
PHOTOGRAPHY BY 今井裕治