前代未聞、全駅リニューアル。 銀座線、90年目の変革。

2017年12月、開通から90周年を迎える東京メトロ銀座線。その全駅のデザインを刷新する前代未聞の大規模リニューアルが始まっている。世界的にみても例のない、大掛かりな改修に踏み切った東京メトロの狙いとは。2020年、東京オリンピックへ向けて銀座線はどう変わるのか。本プロジェクトを担当する、東京地下鉄株式会社、村里誠氏に話を聞いた。

投資額、数百億。
全駅の一斉工事。

利用者にとって、駅は目的地までの通過点の一つだ。バリアフリーの促進、新型車両の導入、ホームドアの設置や、駅の移設・改装など。駅の変化は、普段多くの目に触れることはあっても、多くの記憶に刻まれることは、おそらくないだろう。地下鉄の駅改修工事は、利用者の多くが知らないうちに始まり、気づかないうちに終わるケースが、ほとんどだ。そんな中、銀座線の大規模リニューアルに、熱い視線が集まっている。

「通常の工事は、タイミングにあわせて担当部門ごとに行う。それぞれセクションごとに点で行われていた工事を今回ひとまとめにし、同時期に路線単位でリニューアルをしよう、というところから今回の取り組みが始まっています」

東京地下鉄が現在駅の更新目安として定めている周期の目安は、40年。ちょうど時を同じくして、銀座線内には、更新のタイミングに差し掛かっている駅がいくつもあった。とはいえ、路線単位で取り組むには、更新年度に達していない駅も巻き込んで行うことになる。

「残存簿価がまだある駅も、リニューアルの対象になる。開始時期の調整をかけるとはいえ、路線単位で投資をして、それだけの費用対効果が得られるのか、社内でも議論の争点になりました」

駅の改装だけでも、投資額は数百億。この規模のリニューアルは、世界でも他に例がない。東京地下鉄が、大胆な施策に踏み切ったのは、ある危機感からだった。

ブランド価値を上げる。
路線まるごと、ブランディング。

東京メトロ銀座線。その歴史は古く、上野~浅草駅間の開通は昭和2年に遡る。開通時は、東洋初の地下鉄として注目され、近代日本の象徴でもあった。ところが、銀座線の近年の評価は、決して芳しくはなかった。お客様へのアンケート調査の結果によると、他の路線とは倍以上の大差をつけて、満足度がもっとも低い路線にランクイン。満足度が低い理由として挙げられていたのは、駅の混雑や、駅そのものの古さだった。さらに、輸送人員も若干の減少傾向が見られていた。

「景気や人口減少など様々な要因があるので一概には言えませんが、銀座線のブランド力が下がっていることは明白。工事を路線単位で行うことで、銀座線のブランド価値の向上を図る狙いがあったのです」

折しも、2017年12月には、銀座線開通90周年を迎える。こうして2017年を一つのベンチマークにおいて、2012年プロジェクトが立ち上がる。掲げたのは、「伝統×先端の融合」というコンセプトだった。

「浅草から渋谷までをつなぐ。伝統と先端のどちらも融合しているのが、銀座線の魅力の一つだと、私たちは考えました」

今ある資産を、どう生かすか。その発想から生まれたのが、古い地下鉄、狭い空間をポジティブに捉える、「地上に最も近い地下鉄」というキャッチコピーだった。目指す姿、提供すべき価値、望ましいユーザー体験など、プロジェクトを進めながら、一つ一つを言語化し、チーム全体で目線合わせを行った。

「私たちが見据えていたのは、銀座線が街の一部として、街そのものとして認識されることでした」

記憶に残る駅は、あるか。

村里には、ずっと抱いていた思いがあった。

「ロンドンやパリの地下鉄と比べると、日本の地下鉄はデザイン性が低い、という声をいただくことがありました。そういう面もあるかもしれないのですが、このような声をいただくのは、今ある資産をうまく伝えられていない、発信が弱いだけなんじゃないかと思うのです」

1995年入社。これまで駅や併設する商業施設等の設計に携わる中で、村里自身、駅のあり方を模索し続けてきた。
「デザイン性が低い、というご意見をいただく時に、具体的にどこか尋ねると、明確な答えが返ってこない。駅のデザインは、聞かれても思い出せないことの方が多い。地上の駅に比べて、地下の駅は特に、愛着が薄いと思うのです」

公共施設であるがゆえ、誰かにとっての「不快」や「危険」を排除するのは当然だが、マイナス要素を引き算するだけでなく、どうすれば、心地よさ、気持ち良さなどのプラス要素を足し算できるか。どうすれば、利用者の愛着を育むことができるか。ブランディングの鍵を握るのは、愛着の形成にあった。そこで、村里らプロジェクトメンバーは、驚きの行動に出る。

希望者、全員参加。
前代未聞のアイデアコンペ。

「沿線地域のお客様をはじめ幅広い人々に、駅づくりに参加してもらうことにしたのです」

通常、駅のデザインや設計をコンペ形式で行う場合、設計の実現性を考えた具体案が提示され、勝者に仕事を委託することが多い。だが、銀座線ブランディングにあたって、取られた手法はアイデアコンペだった。

「最優秀者の方が、必ずしも設計を委託されるわけではない。提案内容が、そのまま採用されるわけでもない。あくまでもアイデアなので、実現しなくても、より魅力的で楽しいアイデアならOK。賞金も通常のコンペフィーに比べると少ないのですが、専門家に限るのではなく、広く一般の利用者の皆様に参加してもらうための企画でした」

常識を覆す、このアイデアコンペの手法は、賛否両論を巻き起こした。実現不可能なアイデアが賞をとったらどうするのか。賞をとったアイデアがそのまま採用されるものと、お客様から誤解を招かないか。

「厳しいご意見もたくさんいただきました。ただ、結果論で言えば、全5回のうち応募総数は698件。最年少は8歳、最年長は84歳まで、幅広い世代の方々に参加していただくことができました。それだけ、たくさんの方々に銀座線に興味を持っていただくことができたと言えると思います」

エリアごとに5回にわたってコンペを行うことは、当初の計画になかった。だが、初回、「下町エリア(浅草〜神田駅間)」のコンペを実施した際の反響を受け、コンペの回数を増やし、全エリアで実施する計画に変更する。

「ここまで立て続けにコンペをする会社もなかなかないですよ。非常に労力がかかりますし・・・なぜそんな大変なことを? と思う方がほとんどでしょう」
だが、村里は燃えていた。コンペによって、一人でも多くの人が銀座線のことを考えてくれる。一人でも多くの人が興味を持ってくれる。回を重ねるごとに、その手応えを、村里は感じていた。社内の反応もまた、村里らプロジェクトメンバーの追い風になった。

「各部門を巻き込んだデザインコンペ自体、初めてのこと。鉄道というのは、いろんなセクションが、いろんな関わりをもっている。合意を取るのが難しい局面も多々ある。コンペをやるにあたっても、最初は戸惑う声も多かった。けれど、みんなお客様と関わることが好きで、新しいことに挑戦するのが好き。PRの仕方や、運営の方法についても、どんどん意見が出てきたのです」

ブランディング成功の鍵。

特に印象に残っているのが、「銀座駅」のコンペだった。銀座線の名前の由来にもなっている銀座駅。村里ら、プロジェクトメンバーにとっても、肝入りのコンペだった。銀座駅で、どれだけ街の方々を巻き込めるか、銀座線に関心を持ってもらえるかが、銀座線ブランディングの成功に関わってくる。銀座の街づくりに関わる団体に働きかけ、審査員としてコンペに参加していただくことになった。もちろん、初めから順風満帆とはいかなかった。銀座線に求められているのは、デザイン性ではなく機能性だとする、冷ややかな意見も当初はあった。だが、銀座線には、その開通以来、銀座の街の発展とともに歩んで来た歴史がある。銀座の”まちの地下一階”として、これからも銀座の街の発展に貢献するために、銀座駅のコンペは、街の方々のご協力を抜きにして考えられないと、村里は腹を括っていた。

「関係各所の合意をとるプロセスは、正直にいってしまえば大変でした。けれども、街の方々と一緒に、駅づくりをしたいという我々の思いを繰り返し伝えました。一緒にワークショップを行ったり、街の方々を対象としてコンペ作品の投票会を行うなど積極的にコミュニケーションをとることで、その思いは確実に伝わったと思います。」

コンペの実施後、銀座の街の方々との間に新たな交流も生まれている。

「たとえば、銀座の街でのイベントの時に、当社にお声をかけていただくようになるなど、これまでにない関係性を築くことができている。これもコンペのおかげだと思います」

やりきる力と、わりきる力。

新しいことに挑戦する時、重要なのは「やりきる」ことだと村里は断言する。

「小細工しないで正面突破する。やりきる、ということが何よりも大事。けれども、時には割り切りも大事。不要と判断したものは、思い切ってやめてしまう。そういう割り切りも、ビジネスの上では必要だと思います」

「やりきる」と、「わりきる」相反する二つの間を行き来し、何度も悩みぬいた。その度、数えきれないほど立ち返ったのは、当初の目的だった。

「コンペを5回? なんでわざわざ? ほとんどの人が、そう思う。何度も聞かれました。でも、コンペはあくまでも手段。私たちの真の目的は、お客様への発信と社員への浸透。いかに多くのお客様と社員を巻き込めるか、そこに力を注ぐことだけを考えました」

村里には、脳裏に焼き付いているシーンがある。「ビジネスエリア(新橋〜赤坂見附駅間)」のコンペを行なった時のこと。二次審査の公開プレゼンテーションの最中、審査員席から質問が次々に飛んだ。質問の主は、駅の設計に直接関わっていない部門の役員や部長だった。

「ああ、トップが駅のデザインに意識を向けてくれている。銀座線のブランディングに積極的に関わろうとしてくれているのだと。コンペという形式をとることが、アウター向けだけではなく、インナーブランディングにもなっていたことを改めて実感しました」

次の90年を目指して。

5回のコンペを経て集まったアイデアから、多彩なコンセプトが生まれ、個性あふれるデザインが今まさに生まれようとしている。上野は美術館のある街、田原町は道具の街、末広町は電気の街といったように、個々の街の魅力を発信するような駅が、2017年末に完成した。下町エリアを皮切りに、他のエリアの工事も同時並行で進んでいる。

「良い設計、良いデザインというのは、そのもの自身が、発信力を持っている。見た人、触れた人の心が動けば、自ずとその評判は伝わっていく。全駅が完成すれば、その影響力は計り知れない。東京の魅力を感じられるのは銀座線。そう言えるようになると確信しています」

2017年12月、開通90周年の節目の後には、2020年、東京オリンピック・パラリンピックが控えている。村里は、こうも続ける。

「私たちは90周年に満足している訳ではない。東京オリンピック・パラリンピックがゴールでもない。次の90年を目指して、今まさに突き進んでいます」

村里 誠(Makoto Murasato)
東京地下鉄株式会社 工務部建築課 課長補佐

1995年入社。建築の技術職として入社。現場部門を経験したのちに、本社へ異動し、新駅や駅改装の設計を担当。2006年会社の株式会社メトロプロパティーズに出向。駅構内、商業施設等の開発に携わる。2010年、現部署に戻り、2013年より、銀座線リニューアルに関わる。
公式サイト:http://www.tokyometro.jp/index.html
TEXT BY 山田知奈
PHOTOGRAPHY BY 今井裕治