うまくいかなかったからって失敗なんかじゃない。

インターネット黎明期から20年、今なお事業創造は続く

インターネット黎明期、インターネットビジネスの未来の行方に明確なビジョンを持った事業家がいた。トランスコスモス代表取締役会長兼CEOの船津康次氏がその人。大きな転換期の中で挑戦した新事業について聞いた。

1990年代中頃、パーソナルコンピュータが瞬く間に普及し始めると、その後半には日本でもインターネット革命のさざなみが立ち始めていた。当時このさざなみが世の中の仕組みを変えてしまうほどのビッグウェーブに変容することを予見していた事業家がどれほどいたかは定かでない。 

リクルートでじゃらん事業部長だった船津康次氏(現トランスコスモス代表取締役会長兼CEO)は、これからインターネットが創り出す世界に大きな希望を持っていた。それは情報誌に長く携わった経験から来るものだった。

「就職情報誌って(親指と人差し指を広げて)こんなに分厚いんです。大量に企業情報は載っているけれど、この中から自分の欲しい情報をどうやって探すのかと。地域ごとのツメと職種ごとのツメをつけ、さらに、もう一つ検索をかけられるように業界インデックスもつけました。とにかく利便性を高めようと。しかし、紙の印刷媒体には物理的な限界がある。ところが、これがネットに置き換わっていくと革命的に便利になることが容易に想像できますよね。
もう一つ、印刷媒体の原稿締め切りの問題もあります。旅行情報誌『じゃらん』で考えたことは、いかにリアルタイムな情報を読者に届けられるかです。宿屋さんは原稿締め切り直前の空室情報を掲載したいんです。印刷していてはリアルタイムにならない。歯がゆかったですね。ですから、コンピュータのネットワーク上で情報提供できればいいなとずっと思っていました」

問題意識はすべて情報誌の経験からだったという船津氏は『じゃらん』時代、
ITの未来に確信を得ていた。

「これからはインターネットでコンシューマと企業がつながる。企業がホームページを持つだろうからWebサイト制作が絶対必要だと。そうしたらモノを売りたくなるだろうからECということになる。必ずそういう未来が近くやって来ると感じていました」

一方、データエントリーやヘルプデスクなどアウトソーサーとしてバックオフィス系の事業を行ってきたトランスコスモスも事業運営の舵を大きく切ろうとしていた。

「これからインターネットがメディアとして主流になるだろうし、ありとあらゆるサービスがそこから生まれるだろう。今までtoBをやってきたけれど、toCを考えないとITサービスとしてBに応えられない。インターネットをカバーしないと、法人の需要に応えられないと。現トランスコスモス社長の奥田昌孝はそんなことを考えていました。私と奥田はITに対しての大局観、事業の考え方が100パーセント一致していました」
「私がやりたかったことのキーワードはインターネット&グローバル。それがイコール、トランスにおいては新規事業」だったという船津氏は1998年、事業企画開発本部長としてトランスコスモスへ転身。こうして同社の新機軸を打ち立てるべく奥田氏と二人三脚の挑戦が始まった。

当時はインターネットをツールとしたサービスなど日本になかった。

参考になるモデルは、R&Dやマーケティングで先行しているシリコンバレーを中心にアメリカにあったという。

「トランスコスモスUSAのチームと日本の私たちで自分たちが使えそうなテクノロジーやサービスを見つけるということをやっていました。毎年、ゴールデンウイークに日米中間地点のホノルルに日米メンバーが集まるんです。この戦略ミーティングは、発見の連続で本当に楽しかった。これいけるよな、これ使えるよなと。
メディアのことについては、リクルート時代の問題意識、アナログの歯がゆさみたいなものがあって、それが身に染み付いていました。取材現場から写真や原稿を送って、その内容をリアルタイムで消費者が見られるとか、大量の情報から自分の欲しい情報を簡単に探し出せるとか、そういうのを実現したかったですね。
検索の関連でいえば、シリコンバレーに価格比較検索エンジンのジャングリーという会社があったのですが、リクルートと組んで日本で展開しようということで、3社でJVを組むことが決まっていたんですよ。いよいよサインという段階で、ジャングリーはアマゾンに買収されてしまい実現しませんでしたが。アマゾン創業者のジェフ・ベゾスは勘がいいですね。そのジャングリーCEOのラム・シュリラムがメンターとなって育てていたのがグーグルのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンです。そして今のグーグルになりました。
ベゾス氏とは彼が日本進出検討のために来日した際、トランスコスモスでミーティングをしました。私も2度ほどシアトルのアマゾン本社に分厚いJV企画書を持っていきましたが、残念ながら、彼は日本への単独進出を決めました」

トランスコスモスはアメリカ企業とのJVで20社以上懸命に立ち上げてきたが、その中にメディア関連サービスの企業を何社か挙げることができる。

「ニュース配信+広告モデルのポイントキャストはネット型メディアとしていい感じに見えました、しかしこれは結果的にはうまくいきませんでした。当時の通信ネットワークのスピードは現在より桁違いに遅く、ユーザー数が増えるとポイントキャストのコンテンツをスムーズに表示できなかったのです。時代が早すぎた、ということでしょう。
一方、リアルネットワークスでは、回線スピードが遅くても映像を送ることのできる技術を開発していました。この技術は魅力的でしたが、単にアメリカの技術を日本にローカライズするだけでは使えるサービスにはならない。そこで、これは奇跡的な組み合わせですが、NTTさんとKDDIさんに参加していただき、リアルネットワークス、トランスコスモス4社のJVでJストリームを立ち上げました。紆余曲折あり苦労しましたが、現在は日本サイドで開発した技術を活用し、ロンドンやリオオリンピックのネット中継なども手掛けています。これからも楽しみな会社だと思いますよ。
そのほか、情報系ビジネスのネットへの拡張に有効なツールというイメージで、ターゲティング広告のダブルクリック、レコメンデーションエンジンのネットパーセプションズ、ネット視聴率調査のネットレイティングスとのJVを、20年ほど前に矢継ぎ早に立ち上げました。後年、パワーのあるアメリカ企業が優れたツールを自社内に取り組むという動きがあり、いずれのJVもアメリカ側本社が、グーグル、アマゾン、ニールセンにそれぞれ買収されてしまいました。でも、日本のダブルクリックは先駆的なネット広告サービスを展開し上場を果たしましたし、ネットレイティングスのサービスはネット視聴調査の重要な指標になりました。それぞれの事業立ち上げの経験を通じて、実に多くのことを学ぶことができたと思います」

トランスコスモスはこうしてBtoBのインターネットサービスをつくり、大企業や官公庁に採用してもらうべく、営業活動を展開し始めたが、その裏には一筋縄ではいかないエピソードが隠されていた。会社の取引先を伝って多方面に営業活動していた船津氏は、テレビのコンテンツがネットに移っていくのではないかというイメージを持って、ある日テレビ局を訪れた。

「めちゃくちゃ怒られましてね。なぜかというと、インターネットはテレビ局にとって破壊的な印象があったのです。当時、インターネット業界はIPOだけを目的とした派手で胡散臭い業界だと思われている節がありました。インターネット企業なんて信用できないということで、取締役の方からあなたたちの話は聞きたくないとまで言われました。言わば出入り禁止状態です」

それでも船津氏は、これは大変残念なことだなと、諦めきれなかったという。

「インターネットというものの本質を知ってもらいたいとの一心で、その人のところにしつこく行って、そうじゃないですと説き続けました。我々はシリコンバレーでR&Dをし、その成長を見るにつけ、日本にもそういう未来が来ると確信していますと。だからぜひ、シリコンバレーに一緒に行って、本当の姿を見てくださいと」

説得は功を奏し、一週間シリコンバレーの現場を共に見て回ることになった。グーグル、ユーチューブ、ゲーム系の会社などを巡り、そこではディスカッションもして大いに理解してもらうことができた。その結果、後日その会社とトランスコスモスとの間でJVを作るまでになったという。

「新規事業というのは、マーケットとのコミュニケーションが重要です。時にはエヴァンジェリストとして本当に理解してもらうための努力が必要な時もあります。事業モデルによっては既存企業との軋轢も起きるし、そこで諦めてしまうか諦めずに頑張るか、胆力が問われるでしょうね」

トランスコスモスの歩みの中で2000年前後の戦略投資と戦略JVの一端をなぞってみたが、手がけた事業はなぜ会社設立だったのだろうか。

「既存事業の中でやってはうまくいかないんです。創業と見立てて、でき上がった企業の論理から切り離さないと。30年継続し安定している事業と新規事業では論理が違いますからね。これを同じ尺度で見てしまうと新規事業は育たない。ビジネスですから売上と利益が出てこないとダメで、どんなサービスでも利益が出ないと長期的に成立しません。これは会社という独立した形にすることで明確になります。会社内の一新規事業開発セクションでは生ぬるくなると考えたのです」

船津氏は新規事業の最たるものは創業であるとの思いから、成功している企業の創業期とはどんな形だったのかを真剣に考えた時期があったという。

「ソニーさんやホンダさんの創業時の様子が書かれたものを読んで、改めて人の組み合わせが重要だとわかったんですね。モデルを考える井深さんとマーケットとコミュニケーションする盛田さん。技術の本田さんと経営の藤沢さん。お互い見事に補完し合っているわけです。私個人で言えば、奥田と私もそういう関係なんだと感じました」
そして、チームアップが何より重要だと強調する。
「自分が信じるものを進めるには、さっさとチームを作ることです。志を同じくして、何があっても突破するぞというパッションを持ったチームを。年齢、経験値、スキルなど多様性があれば役割も明確になっていいでしょうね。そしてうまくスタートできたら、次は、このスタートチームをさらに大きな組織にする必要があります。私たちも組織作りには大きなエネルギーを費やしました。いくら技術と事業モデルを組み立てたところで、それをリアルに動かすのは人ですから。とにかくいろんなことが起こりますから、組織を成熟させていくためにはバンドのメンバーのように時には交代も必要なんでしょうね(笑)」

戦略投資と戦略JVを試行しながら、インターネット時代の進化したアウトソーサーの形を模索していたトランスコスモスだが、最大の目的はインターネットサービスをいかに自社内で事業化するかであった。

「これは大仕事でした。インターネットの大波を乗り越え、その果実を取ろうという大変革です。新しいコーポレートビジョンを策定、組織体制も大きく変え、“新トランスコスモス像”を全社で掲げました。会社のロゴマークも変えたんですよ。これらの準備に一年かけました。スタートは売上ゼロだったインターネット事業でしたが、今では事業の三本柱の一つにまで成長し、年間売上600億になりました。中国、韓国、東南アジアはじめ世界に展開しています。これは劇的といえば劇的ですね」

「この20年、そして今なお、すべてが事業開発であり創業です」という船津氏。最後に、氏が挑戦した一連の事業を通じて得た教訓は何だったのだろう。

「タイミングです。少し先を見ながら、今に対処する、そんな感じ。ITの変化スピードは速いので、先が読みにくいですよね。早め早めにやりたいということですけど、方向違いというのも出てこなくはない。でも先ほどのポイントキャストやアマゾンなどの話だって、失敗じゃないんですよ。20、30やったってそんなにうまく行くものじゃないですから。そういう経験を糧に育ったものがあるわけです。今は20年前と違って、様々なクラウドサービスを利用することができます。世界中の消費者がスマートフォンで情報にアクセスできます。新しい時代を肌で感じることができれば、これからも、たくさんの事業創造の機会があると思いますよ。ますます、楽しみな時代に向かっているんじゃないでしょうか」

船津 康次(Koji Funatsu)
トランスコスモス株式会社 代表取締役会長兼CEO
1952年、兵庫県生まれ。1981年、リクルート入社。 1995年、北海道じゃらん取締役。1998年、事業企画開発本部長としてトランスコスモス入社。常務取締役、専務取締役海外事業統轄補佐、代表取締役副社長総合営業本部、コンサルティング本部、各事業本部担当を経て、2002年代表取締役社長兼CEO就任。 2003年から代表取締役会長兼CEO。2011年、一般社団法人日本コールセンター協会会長。2014年からカドカワ株式会社社外取締役も務める。
公式サイト:http://www.trans-cosmos.co.jp/
TEXT BY 和田知巳
PHOTOGRAPHY BY 今井裕治