“邪道”の道を切り開く、東海大発、先端医療。

およそ7割の人が、人生で一度は経験するという腰痛。風邪に次いで、患者数が多いとされているが、その原因が特定できるケースは全体の2割にも満たない。その根本的な解決策を探し求めて、日本で初めて椎間板の再生医療に取り組む医師がいる。世界的に知られる腰痛治療のスペシャリスト、東海大学医学部整形外科学の酒井大輔准教授に話を聞いた。

「扉」を開いた、一つの論文。

多忙とされる医師の中でも、酒井は、さらに輪をかけて多忙だ。東海大学医学附属病院整形外科に勤務する医師として、指導も含め年間200件もの手術を手がける傍ら、同大学の研究チームを率いる。主催する「椎間板変性研究グループ」には、ヨーロッパ、南米、中国から優秀な研究者が集まる。さらに、酒井の研究成果をもとに事業化を目指す国内企業との開発連携、アメリカの再生医療ベンチャーとコンサル契約も取り交す。スイスには、酒井の研究を支援するファンドもあるという。

「会社員の皆さんと一緒ですよ。一つの案件に集中するだけではなく、いくつも同時並行で取り組んでいる。臨床だけに集中できれば、どんなに幸せか、と考えることもありますよ。でも、自分で開いた扉ですから、自分で締めるわけにはいきません」

酒井の開いた扉。それは、椎間板の損傷に対する再生医療の研究だ。2012年、『Nature Communications』に酒井の論文が掲載されたことから、すべては始まった。

“邪道”な挑戦。

椎間板とは、背骨の骨と骨の間にある線維軟骨組織だ。脊椎の上下からの衝撃を緩和するクッションの役割を果たしている。人体最大の“無血管な臓器”のため、栄養が届かない。ゆえに、再生がしにくく、バイ菌などの感染にも弱い。ところが、椎間板の健康維持におけるメカニズムに迫る研究は驚くほど少なかった。

「椎間板はそもそも、胎生期の脊索の遺物。あなたは骨になりなさい、というシグナルを出す役割を担う脊索細胞は、その役割を果たしたあとは人体に不要なものと考えられていた。ヘルニアになったら、椎間板を取ればいい、という治療法が主流だったほど。遺物と言われていたものを生かそうというアイデアは、学会でも邪道だと思われていたのです」

椎間板の再生は、酒井が当時のボス、持田讓治東海大学名誉教授から与えられたテーマでもあった。ちょうど2000年当時は、幹細胞の定義が一般的に普及し、細胞そのものを薬として怪我や病気を治す「再生医療」が少しずつ認知され始めていた頃だった。そこで酒井は、幹細胞によって椎間板を修復できないか、考え始める。

「世界的にも例のない実験だったので、手探り状態でしたが、骨髄にある幹細胞を、椎間板に移植する実験に成功しました。2003年の論文発表後、同様の論文が60個以上出ていますが、そのオリジナルになったのが僕たちのチームの研究です」

そのおよそ9年後の2012年、酒井の研究チームは、椎間板には自らを修復できる幹細胞があること、椎間板の加齢による変性の一因が、幹細胞の消耗であることを突き止める。その結果を『Nature Communications』に発表したことで、広く注目を集めたのだった。

目指すは、国際競争に勝てるプロダクト。

いま、酒井が取り組んでいるのは、研究の成果を応用したプロダクトの開発だ。

「30代までの若い方には、幹細胞が豊富にある。不幸にも若くしてヘルニアとなってしまい、手術後は不要となる、椎間板組織から採取した幹細胞を全国から収集し、腰痛患者さんの治療に活用したいと考えています」

実を言えば、同じコンセプトのプロダクトをすでに開発している企業がある。酒井の研究を知ってか知らずか、いち早く事業化を進めていたのは、アメリカの再生医療ベンチャーだった。

「守秘義務後にレビューをしたのですが、その内容は、私たちの研究を、そのものずばり応用したもの。自分たちが日本でやろうとしている内容の一歩先を行っていた。いま、国産品の開発を進めていますが、先行するプロダクトをどう超えるかが、鍵になっています」

酒井らが最終的に目指すのは、痛み止めや湿布と同程度のコストでできる治療法だ。そこまでのコストダウンは難しかったとしても、ヘルニアの切除や、脊椎を固定する手術と同程度の費用になれば、まだ勝ち目はある。

「より良い治療法を純粋に追求するのが、私たち医師の役割だと考えていました。コストについては、意識したことがなかった。けれども、私たちの研究を知って、アメリカのベンチャーがすぐに動き出したように、事業化、実用化のためには、スピード感が必要。医者は、医療をやっていればいい。その考えが、国際競争で勝てない理由だったり、いいアイデアがプロダクトにならない理由だったりすると思うのです」

酒井が取り組むのは、プロダクトの開発だけでない。開発したいテーマは山ほどあると、酒井は笑う。

「考え出したら、夜眠れなくなりますよ。例えば、いま大学発で新薬も開発しています。劇的に効果があるとか、劇的にコストが安いとかじゃないと、なかなかプロダクトにはなりにくい。最近の新薬は高額になりがちだけれども、小さい分子からなる薬を安価に提供できれば、一人ひとりの病状にあった、オーダーメイドな創薬ももっと気軽にできるようになると思うのです」

事業化に結びつくアイデアはたくさんある。だが、酒井の目的は、もちろん営利目的ではない。

「自分の患者さん、あるいは日本の患者さんに、より多くのソリューションを提供するためにやっています。お金儲けがしたいわけじゃない。大学発のベンチャーや研究者は沢山いる。けれども途中で、経営がメインになる人も沢山いる。僕のゴールはそっちじゃないというだけのこと」

三足のわらじ。

16年間。それが、酒井が椎間板の再生医療の研究に注いできた歳月だ。なぜ、忙しい臨床の傍ら、酒井は精力的に研究に取り組んできたのか。そこには、酒井自身が長年抱いていたジレンマがあった。

「研修医の時は、痛みを訴える患者さんに痛み止めと湿布を処方することに、なんの疑問も持っていませんでした。けれども、基礎研究をしたことで、椎間板の修復を促す、根本的な治療が必要だということに気がついたのです」

腰が痛ければ湿布を出すのが、一般的な処置。でも、それでは一時的な痛みを緩和できたとしても、患者自身の治癒力に頼るほかない。腰痛のメカニズムを細かく紐解いていかなければ、本当の意味で治療することはできない。目の前の患者さんの痛みが、どこから来ているのか。突き詰めていった先に酒井が辿りついたのが、椎間板の再生医療の研究だった。

臨床、研究、さらには教育。二足のわらじならぬ、三足のわらじを履く酒井は、今なお多忙な日々を送る。

「学会でも何かと役割を頂いています(笑)。非常にありがたいのですが、3つの学会の国際委員会の委員や委員長を務めさせていただいたり、日本の腰痛診療のガイドライン作成にも携わらせて頂いています。」

最近、米国の整形外科学会の発行する専門雑誌の編集長に就任したという。目立とうとしているわけではない。組織の中で、どうしても目立ってしまうのだ。だが、それも捉えようによってプラスにもマイナスにもなると心得ている。

「客観的にみて、正しいことであれば、多少抜きん出ていたとしても、叩かれにくい。信念を貫き通すには、多少目立つことも必要である。ただ、自分を客観視できるかどうかが、重要だと思います。私も、ここは一歩引いておこう、ここは前に出ようと、使い分けています」

自分の生きた証を残す。

医師を志したのは、祖父の影響が大きいのだと酒井は振り返る。医学の研究者だった祖父が残した、医学書に幼い頃から触れていた。

「小さい頃でしたから、内容は全くわかりませんでした。けれども、祖父の研究が、医学の進歩に少なからず寄与していたことは幼心にわかった。自分も、意味のある貢献がしたいと思うようになったのです」

「祖父が死んでも、その本が残っているように、自分の生きた証じゃないですが、足跡を残したいと子供心に思いました。」

最後に、酒井に今後の展望を語ってもらった。

「医学界はまだまだ閉鎖的。東海大学をもっともっと盛り上げていきたいですね。私学でも日本初、世界初の研究に取り組んでいること、グローバルに仕事ができることを、もっと広く社会に発信し、後進を刺激するような仕事をしていきたいです。」

酒井 大輔(Daisuke Sakai)
1999年東海大学医学部卒業。2005年東海大学大学院医学研究科修了。2008年医学部講師、2012年より現職。専門は整形外科学、脊椎脊髄病学。小児や高齢者の脊柱側弯症(そくわんしょう)などの高度な技術を要する手術治療を実践する傍ら、椎間板の再生医学研究にも従事。2012には様々な脊椎疾患の引き金となる椎間板障害の一因が幹細胞の消耗である事を発見し、Nature Communications誌に掲載された。
公式サイト:http://sekitsui.med.u-tokai.ac.jp
TEXT BY 山田知奈
PHOTOGRAPHY BY 佐藤登志雄