消えた“年金記録”を、 蘇らせた男の信念とは。

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日本で国民年金制度が開始されてから40年以上が経った2007年。社会保険庁のずさんな管理により、大量の"持ち主の分からない年金記録" があることが発覚した。それがいわゆる「年金記録問題」である。国の威信に関わるこの問題を、ITの側面から収束に導いた男がいる。それが、宇留賀敬一氏(経済産業省)だ。彼が、なぜ誰もが頭を抱える難題を解決できたのか。宇留賀を突き動かした想いを紐解いていく。

宙に浮いた、
5000万件のデータ

1961年、日本に国民年金制度が導入された。その後、膨大な量のデータを管理する中で、水面下で発生していたのは細かい転記ミスや記入漏れ。2007年に蓋を開けてみると、なんと5000万件以上もの年金記録が誰のものかわからない状態になっていた。

国民の大事な年金。その管理を怠っていたとなると、国の威信に関わる問題だ。「年金記録問題」として、各種メディアに取り上げられ、政府も全力で記録データと持ち主の突合作業にあたっていた。

しかし、どれだけ担当者の人数を増やしても、誰も数千万件のデータをどう扱ったらいいのかわからない。多くの官僚が任命されたが、一向に打開策は見つかっていなかった。

担当者が頭を抱えているうちに、一層厳しさを増していく世論。一方で、議員からは1日も早く問題を解決しろと迫られていた。内外からの強いプレッシャーを受け、霞が関の現場には焦燥感と疲弊した雰囲気が流れていた。

そんな状況を打破すべく白羽の矢が立てられたのが、経済産業省でIT施策を担っていた宇留賀だった。「それまでとは異なる視点から年金記録問題をチェックするチームがつくられ、私はそのメンバーを命じられました」しかし、年金記録問題は、厚生労働省の管轄。宇留賀は経産省に籍を置いていた。

「霞ヶ関にはただでさえITの専門家が少ない上に、システムや膨大な量のデータを扱える人なんてほとんどいなかったのです」そこで、宇留賀は厚生労働省の特別チーム室、そして、改革推進室の一員として任命された。後に、政策官という新設ポジションに就き、実質的に、厚生労働大臣の補佐官という形で経産省から出向することになった。省の壁など気にしていられないほどに問題は逼迫していたのだ。

ヒントを求めて、
全国行脚。

持ち主不明のデータが誰のものかを明らかにする。一言で言えば、これが年金記録問題のゴールだ。「そのために、システム上で仮説をつくって、どのデータをどう分析すれば正しいゴールにたどり着けるかを、何度も検証しました」

しかし、データの検証はそれまでにも何度も繰り返されていたこと。厚労省内にはどこか諦めムードが漂っていた。「そんなことやっても、意味ありませんよ」周囲の職員から、こんな一言を言われたこともあったという。

「このままじゃ、らちがあかないと思いました」PCとにらめっこをして、データを眺めているだけではなにも変わらない。宇留賀はそう考えて、新たな行動を起こすことにした。

「実際に年金記録を管理しているのは、全国各地の社会保険事務所の職員。直接その人たちに、どうやったら効率よくデータを扱えるかを聞くことが、一番てっとり早いのではないか。分析を進める中でそう感じました」そこから、宇留賀は全国の地方事務所を回ることを決めた。

宇留賀は、本省採用。一般的に"エリート" と呼ばれる採用枠だ。霞が関でも幹部候補に近いような人材が、地方の事務所にわざわざ話を聞きに行くなんてことは、ほとんど前代未聞のことだった。

「中には、報告書やデータを見ているだけで判断をしている官僚もいます。でも、本当に大切なことは自分で動いて、目で見て感じないとわかりません」

約2時間のヒアリングを、1日3拠点以上。たった一人で、毎日地方の事務所に訪問し続けた。「一番リアルな情報を持っているのは、最前線でお客様とやりとりをしている窓口の職員の方々のはず。その人達を中心に話を聞きました」

しかし、当時は、社会保険事務所に、年金記録の確認のための人が殺到し、2時間待ち、3時間待ちは当たり前で、多いところでは5時間待ちも出るほど、大混雑を極めていた。

相手の職員も忙しい業務時間中のヒアリング。煙たがられるかと思いきや、どの事務所でも好意的だったと宇留賀は語る。「普段から、自分の上司には言えないようなことが色々と溜まっていたんでしょうね。年金問題とは関係ないような仕事の愚痴も沢山聞かされました(笑)」

そうやって地方の事務所を回るうちに、地方毎に独自の運用方法でデータを管理していることがわかり始めてきた。「それぞれの事務所が行っている工夫や問題点が見えてきて、データの突合作業へのヒントが見えてきました」

宇留賀は、各地で聞いた意見や見つけた情報をもとに、年金データの突合作業に取り掛かった。

データセンターに、
缶詰になったGW。

日本各地からヒントを持ち帰り宇留賀は、データ検証の方針を固めた。次の壁は、実際に検証を行うシステムを構築する作業だった。

当時、年金記録のシステムは民間の大手通信業者が担当していた。「このやり方を実現したいのであれば、4ヵ月はかかります」その会社の担当者に話をすると、こんな返答が返ってきた。

「ただでさえ、一刻の時を争うような状況。そんなには待っていられませんでした」目の前の担当者に話しても進まない。それであれば、実際に作業をする人と話すのが一番早いはずだ。宇留賀は直接、エンジニアと話しにいった。

「作業工程を全て線表にして、この作業は並行で進められる、ここは省ける、など細かく話をしました」。すべてのスケジュールを見直して、当初4ヵ月かかると言われていた予定がなんと1ヵ月にまで短縮された。

そこからデータの突合も進みはじめ、作業は順調かと思われた。しかし、そこでまたひとつの問題が起きた。「戦後直後など、古すぎてまったく持ち主が特定できないデータが出てきたのです」

「周りの職員に分析を依頼しても、またもや、そんなことはできないと言われました。じゃあ、私がやるしかないじゃないですか(笑)」宇留賀は、高井戸のデータセンターまで足を運んだ。

「大事な国民の年金データです。一日も早くこの問題を終わらせるために、GW休暇返上で朝から晩までセンダーにこもりました」この生年月日の人はこの時に仕事を辞めている。この人はこの時結婚しているから、名字が変わっているはずだ、など年金記録システムにかじりつきながら様々な検証を行った。

「正直、気が狂うかと思いました。休暇中で誰もいない巨大なデータセンターに、たったの一人ですからね(笑)」

それでも、自分が止まってしまえば、また一歩問題が解決から遠ざかってしまう。宇留賀は愚直に作業を進め、根雪のように解決不能と思われたデータの解決方法にたどり着くことに成功した。

誰かが動かなければ、
国は変わらない。

宇留賀の奔走の結果、最終的にはほとんどのデータの持ち主が特定された。当時、誰もが諦めかけていた年金記録問題。宇留賀は、周囲から無理だと言われながらも粘り続け、解決にまで導いた。彼をここまで突き動かしたものはなんだったのだろうか。

「もちろん、私一人の力で成し遂げられたわけではありません」宇留賀以外にも、業務という範囲を超えて、自身のライフワークとして年金記録問題の解決に取り組むようなメンバーもいた。

「特に、年金記録問題作業委員会の一員だった磯村先生とは、年の差に関係なく、少しでも問題が解決するよう一緒に悩みました」磯村氏は、古い台帳やOCRの人手での確認作業などに関して、様々な提案を行ってきた。

「最後まで諦めずにやり切れたのは、磯村先生をはじめとして、同じゴールを向ける仲間の存在があったからです」

続けて、宇留賀はこうも語る。「今の仕事に就く前は、政治ってかっこわるいと思っていたんです」学生時代を振り返ると、あまり政界に対していいイメージはなかった。「財政赤字の金額も巨額。ニュースを見ていても明るいニュースはほとんどありませんでした」

「それでも、私たちの世代が見て見ぬふりをしてしまうと、次の世代が困るはずです。絶対に日本をそんな国にはしたくない。だから、私は今の仕事を選びました」まさに、年金問題も同じような構図。誰かが途中で声を上げれば、ここまで問題は大きくならなかったはずだ。

「誰にでも、物事を変えられるチャンスはあるんです。国の仕事に限らず、企業だって同じ。変えようと思えば、変えられる。それを自分で行動に移せるかどうかだと思います」

実際に宇留賀は、自身の立場や役職にこだわらず、泥臭く自分の足で走り続け、諦めかけていた周囲の職員達を巻き込んでいった。そんな彼の姿勢があったからこそ、誰も辿りつけなかったゴールに至ることができたのだろう。

「どんな仕事も、国単位の話なので相手は巨大。それでも、誰かがやらないといけません。だから、私ができることはなんでもやろうと思っています」

年金記録問題が落ち着いた後も、宇留賀は自分の信念を貫きながら様々な重要政策に関わり続けている。

宇留賀 敬一(Keiichi Uruga)
経済産業省 商務情報政策局
情報技術利用促進課 課長補佐(総括)
2003年経済産業省入省。人の移動に関する経済連携協定交渉や、電子政府の企画に関わり、2007年に年金記録問題を解決すべく厚生労働省に出向。2009年から経済産業省に帰任。鋳物や金型等の業界担当を経て、2011年から原子力政策課で原子力発電所の再起動や、福島第一原発の凍土壁等を企画。2014年から地方創生に関わり、地方創生交付金を担当。2016年現在の部署に異動し、ITという側面から日本の産業を支えるべく日々奮闘している。
公式サイト:http://www.meti.go.jp/
TEXT BY 新谷建人(株式会社パラドックス)
PHOTOGRAPHY BY 佐藤登志雄